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everywhere I'll go

横浜アリーナ「LOVE ALL ARENA TOUR」2023.2.14

「約束しましょう、幸せでいてください、いつでも、死ぬまで」

思いのほか、なんならこれまでいった藤井風ライブの中で一番いい席で、開演1時間前にやっとテンションがあがった。

食傷気味とか過ぎたるは猶及ばざるが如しとか、先人の素晴らしい言葉があってだな、1ツアーに3公演はやり過ぎたかなぁ、疲れたなぁ、動きたくないなぁ、寝ていたいなぁ、寒いなぁ、眠いなぁ、あー、あ゛ーー、あ゛ぁーーーっ。

というテンションでなんとかかんとかズルズル向かって、到着したら、席がバグってて、来てよかったと。ゲンキンなやっちゃ。

毎回泣いてしまう歌が違う。

「やば。」のとあるところで突然泣けた。
「誰も見捨てたりしないから」
やさしい。なんて優しい歌なのだろう。この人の歌はストレートに優しい。

その昔、桜井和寿の歌も優しかった。
遠回りするような言い方でも、弱いなりの優しさで、何もかもを吐き気がするほど呪い散らかしていた頃の20代の私には、じんわりとその優しが染みわたっていった。

藤井風の歌の優しさは、直球だ。
心地好いメロディでさらっと通り過ぎてしまうほどチラッとこっそりと、でも、鋭く優しい言葉で、一瞬にして体中を包み込んでいく。もし20代でこの歌を聴いていたら、たぶん、ウザいだけだったに違いない。

そもそも前半の「旅路」でもうだめだった。
「何かを愛したり 忘れたり 色々あるけど」
まるで、臨終の時に見るという走馬灯のような歌だと感じた。

意外にも「死ぬのがいいわ」でもタガが外れてしまった。
二度と会えなくなるくらいなら死んだ方がましなんて思ったこと、、と考えていたら、父と妹のことを思い出した。この歌の「おサラバ」はほんとうの「おサラバ」なのだ。

そして次の「青春」。
青春の、ではなく、人生の終わりを感じて、泣けて泣けて仕方なかった。

まさかの「きらり」でも泣けてしまったくらいだった。
「生きてきたけど全ては夢みたい」
「きらり」とか「さらり」とか、そんな言葉が、一瞬の強い突風のような言葉が、まるで、ひとときで通り過ぎてしまう一生のようで。

いや泣きすぎやろ。

昔から、どんな明るく眩しい歌だとしても、終わりを、「果て」を感じられる歌が好きだった。けれど藤井風の歌は「果て」の先の「死」を思わせた。死の淵に立って、あるいは、もう「向こう側」にいるような。それなのに絶望も地獄も悲壮も虚無も溢れない。ひととき、眩しく通り過ぎ、その後に残るのは、温かく柔らかな慈愛。

わかっているのだろうかこの若者は。自分の歌がそういう歌であることを。
彼自身も、自分の歌の良さに心底気づくのは、もっと年齢を重ねた頃だろう。

宗教家の受け売りって言う人も言いたいことはわかるが、そうだとしても、いや、むしろ、そうであるからこそ、宗教なんてイカサマと育てられた人間が、そして今もその親の思想に異議なしと思っている偏狭な人間が、この人の歌に耳を傾けると、まるで宝石のようにキラキラした宝物を渡されたような気がするのは、それはもう、彼にしか創造し得ない、唯一無二の音楽だからではないだろうか。

「何かを好きだと思うことは、それの良さがわかるという才能があることに等しい」と尊敬するおじさんが言っていた。

「あなたはわたし わたしはあなた」
藤井風の才能が素晴らしいと気づいた私も彼と等しく素晴らしい才能があったってことに気づいた。だいぶ都合がいいが、それに気づいたあたしよ、よく今日まで生きてくれた。
あたしに会えてよかった、死の前に。

一歩でも死が近い人間ほど、彼の歌の輝きが増すのならば、しゃーなし、生きよう、死ぬまで。
せめて藤井風の歌が聴こえる間だけでも幸せに。

だから、約束して欲しい、死ぬまで歌い続けると。