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everywhere I'll go

ドラマ「BRON | BROEN」 

見終わってとにかく何か書きたくなった。

あまりにサーガ・ノーレンが魅力的でしばらく浸りたい。

こんなドラマの存在を10年以上スルーし続けていたのか。
いや、存在は知っていた。いろんなVODでこれがおすすめに出てきていた。
その度、スルーしていた理由は「女の捜査官モノ」だから。

どうせあれだ、この女優を如何にキレイに撮るかしか考えてないような、この女優のPVみたいになってんだろうな、と思ってしまっていたからだ。

いけません。
日本のドラマのトラウマが意識下に刷り込まれ、危うく見逃すところだった。
もう、日本のドラマは、映画は、どうしようかな。見るかな。引いて見ちゃうよな。敵わないよ。お金のかけ方が違うとか、脚本が幼稚でとか、そういうこと以前に、とにかく作品を見る入口に立っている俳優たちの力量が違い過ぎてみる気にもなれない。いや日本にも素晴らしい役者はいるとは思うけれど、ドラマや映画のポスターに名を連ねるほどの有名で未熟な俳優たちに埋もれてしまって、私のところまでは素敵な俳優たちは届かない。

私が映画やドラマに一番求めるものがわかってきた。

登場人物を、特に主人公を、好きや嫌いを越えて、共感できてもできなくても、どうかラストは幸せになって欲しいといつの間にか願うように見ている。そういう作品が好きだ。彼女や彼らにしかわからないハッピーエンドであっても、そう終わってくれたら、しばらく彼女彼らに思いを馳せて、今もどうか幸せであってほしいと、馬鹿げているけどそう思える作品出会えたら、あぁ、この作品を見ずに死ななくてよかったと、大袈裟でも心底思うのです。

生きていてよかった。

私のような映画やドラマオタクではない未熟な人間にも、ましてや日本語しかわからないというのに、そこまで思わせてくれる、俳優たちの演技力に感謝します。

よし

01.I MISS YOU

「I」に一歩届かず。思い出したから勝手に比較。曲は好き。

02.Fifty's map~おとなの地図

こういうモヤっとする煮え切らない曲調、最近お気に入りなんですね。歌詞も引きづられてぼんやりしてますけどいいのかな。そんなことより、あのPVなに?まさか名曲「くるみ」の続編という立ち位置??その自信どこから生まれるんだ。

03.青いリンゴ

トライプレインみたい。20年くらい前に半年くらいハマってたバンドで最近のミスチルを形容する時よく使わせていただく固有名詞。

04.Are you sleeping well without you ?

「夏が終わる」に遠く及ばず。勝手に比較シリーズ。まぁでも、このアルバムの中なら次点。

05.LOST

うー、またこういうモヤっと曲調。歌詞が勿体ない。「年老いた2匹の犬が僕の帰りを待っているそれだけでいい」は激しく同意。

06.アート=神の見えざる手

どどどしたん?もぉー、やめてあげてよぉー、みんなが昔の桜井は良かったってAmazonレビューに書き込むからキレちゃったじゃん。「うるせぇ俺だって尖った歌まだ書けるっちゅうねんぼけぇっ」って。おじさんキレたら怖いんだかんね!プンプン!

07.雨の日のパレード

はい。

08.Party is Over

「Forever」には及ばず。「ロンT」・・他になかったですか。「泣いてる人の前でシャンパン開けてはしゃぐような君じゃないだろう」ずいぶん宗旨変えしたな。曲はよし。

09.We have no time

言いたいことはわかった。曲はまぁよし。

10.ケモノミチ

文句なし。

11.黄昏と積み木

はい。

12.deja-vu

はい、で我慢できないほどちょいキモ。

13.おはよう

「オハヨーオハヨーオハヨー」オウムかな。

 

「REFLECTION」くらいの爆発的な復活を期待していたのですが、甘く言って「SENSE」の後ぐらいの落下を辿り始めた頃で、でも「オレンジなんたら」よりはましかなくらい。「ケモノミチ」は別格であと4,5曲はなんとか。歌詞はまぁよくても曲があれとか。曲はまぁでも歌詞があれとかいろいろあるにはあるけども。

そもそも、歌詞がいいとか曲はいいとか、そういう次元じゃなかったから桜井和寿の作る音楽は。その歌詞を届き易くするためのメロディーで、そのメロディーを口ずさむための歌詞で、お互いがひっついて剥がし取ることなんてできない完璧な音楽だった。

もう、ポップでキャッチーな一回聴いたら口ずさんでしまうようなメロディーは無理なのか。それも才能溢れる歌詞でねじ伏せられてたらまだしも。自由や希望や恋の歌も若者に合わせているのか愛人が若いのか、薄ら寒い単語しか出てこない。特にラブソングはもう限界突破してます。内省的な歌も加減がわからんくなってきちゃってメチャクチャだし。

そらそうだよなぁ、50代なんて虚無真っ只中で「希望」も「内省」もあったもんじゃねぇ。「死ぬまで自分の足で歩けるようにしないとな」とか「ガン検診予約入れなきゃな」くらいの内省しかないわな。理解。

よし、想定内。「ケモノミチ」めっちゃよかったぜ。

「仕返し」だけが希望

「きーみにらーぶそーんぐをー送ろうぉ なんたらかんたらー孤独のメロディー その耳にだけーのこーるよう こーえもなーく うたーう」

つってね。
この部分だけのスポットを見たとき、うんざりでした。絶望でした。いや、安堵だ。「よし、次のアルバム、自信を持って買わないと言える」と。

ここ最近の、2枚くらいのアルバムの体たらくぶりの流れで、また大袈裟でただ暑苦しく薄っぺらいラブソングですか、と。
どうしたんですか「届いてくれるといいな君のわかんないところで僕も今奏でてるよ」のひっそりとした熱さは。もしくは「君が好き僕が生きる上でこれ以上の意味はなくたっていい」の潔さは。もしくは「何を犠牲にしても手にしたいものがあるとしてそれが僕と思うのならもう君の好きなようにして」の聴いてる方がひくぐらいの気狂い加減は。おまけにタイトルは「miss you」っつってさ。さようなら桜井和寿の歌。

と、呆れ果てた私が最後の親指の力を振り絞って、おすすめに表示されつづける「ケモノミチ」フルバージョンPVをついに見た。仕方なしに、暇つぶしに。

鳥肌。
ちょっとまて、あの歌、この歌の一部?タイトル違うのかなんて小さな問題はさておき、こんな歌にあの甘い歌詞がくるのか?

そうだった。桜井和寿の歌はそうだった。
呪いの歌がラブソングに、その逆も。優しい恋の歌が生き詰まる愛の苦しに悶えるような。聴く人を鼓舞してるフリして実は自分に言い聞かせていたり。
諭すのではなく、奮い立たせるわけでもなく、愛って素晴らしいと能天気にいうのではなく「僕だってそうなんだ」とたった一言で優しく包み込んでくれた。
聴き終えた後は束の間、一瞬でも、どういう状況にいても「愛」や「幸福」や「自由」を信じられた、たとえ勘違いでも。
手にしたことなどなくても「希望」という暖かい温もりを運んできてくれた。
そんな歌だった。だったじゃないか。

忘れていたわけではない。覚えていたからこそ、昨今のミスチルの曲が私のどこにも触れずに、ただ右から左へと通過してしまったのだ。
だから私のせいでは決してない。断じて私のせいではない。誰のせいって。

何度も聴いている。桜井和寿の新しい曲を何度も聴いている。何年ぶりだろう。
慌ててアルバムを予約した。

まだ生きていたのか桜井和寿。息を吹き返してくれたのか桜井和寿
それともこれが本当に最後のファイナルラスト名曲なのか。だとしても。

もしかしたらアルバム全曲中、名曲はこの1曲だけかもしれない。
それでも構わない。3,500円以上の価値のある1曲。
私にとっては、様々な意味で「希望」の歌なのだ。

「Workin' Hard」見た聴いた

全編英語かと思っていたら8割日本語やった。ソラミミストにはなれないわ。いや、向いてるのか?

考えたらサビんところ1,2回しか聴いたことなかったんだった。そらそこは英語やから。

だいたい、サビを1,2回しか聴かないで済んでいたっていうことはそういうことで、全部PV付きで見聞きしたことろで、触手が動くはずもなく。

あれだな「死ぬのがいいわ」が海外で当たったのに気を良くして似たようなのぶっこんできたかな。知らんけど。私、音楽家でもないから、単純に似てるとしただけです。

うすら寒く流れ消えていくコメントを見ていたら本人が「bye old fujiikaze」みたいなことを書いていた。多分「死ぬのがいいわ」が海外で当たったのに気を良くして(再)、元々実は僕はこういう音楽をやりたかったんだよねぇ、というテイを取ることにしたのか、言い聞かせているのか、ガチでそういうことなのか定かではないけれど。

けれどまぁ今後もそういうことなら、私の藤井風劇場完結編の始まりですわな。

歌詞はあれね、なんだろう、心に余裕がないからなんかちょっとイラっとしましたけどね。「あんたらよぉがんばってるわ」つってね、成功してる若い子に言われたくねぇんだが、大きなお世話なんだが、というね。まぁ歌詞は最近の音楽はあれなんですよね、なくていいくらいになってるんですよね?音楽玄人みたいな人が言ってましたよ。ちょっとそれは乱暴じゃないかと賛同しかねるのだけど。

総じて、別にこの曲なら藤井風じゃなくても、他にいくらでもこういう音楽やってる人いるだろうし、聴いたことあるような感じするし、わからんけど。

わからんよ、だって単純にあんまり好きじゃねぇーもん。

「帰ろう」「旅路」「優しさ」「ガーデン」「それでは、」「grace」が好きな人間からしたら、それはそう。

この人しか作れないような音楽を聴きたかっただけです。
残念無念。
次のアルバムはダメージ軽減のため薄目で聴いて、あかんと思ったらそこでそっと永遠の眠りにつこう。

村化上等

マネージャーの日記が更新されるたびアプリの通知が来るのでうんざりしながら読まずに通知をスワイプして消す日々。
最初の頃は斜め読みくらいしていたが。
最後に覚えている内容はファンクラブを作らないのは「村化」させてたくないだとか言っていた。
ファンクラブを作ることが村化することになる理由が全くわからない。というか、Twitterを見たら藤井風ファンは完全村化していますが。そもそも人気商売が村化を避けて成立するはずもないのに。
何が可笑しいかって、村化が嫌だといいつつ、売り出し方は完全村化を助長するアイドル的な売り出し方だというところ。何かあるたびに、その時の藤井風はどうだったか、みたいな日記をこうやって発信している。日本でやった弾き語りライブはその最たるもので、まるでYouTuberのオフ会みたいだった。
そうだ、この人は元々YouTuberで、村化したからこそ、今があるのではないか。
だったら正々堂々とアイドル売りをして、けれども、生み出す作品はぐうの音もでないほどの音楽。それでもう充分かっこいいじゃないか。

というか私が聴きたいのは藤井風の音楽だけで、マネージャーの自慢話や苦労話ではない。

裏方は裏方に徹しろということ。
表に出てきた途端、その存在がもう雑音でしかない。
自分たちの商品を一人でも多くの人間が手にできるよう、そしてその商品のクオリティを維持することだけに集中して、世に送り出してくれさえすればいい。

Blu-ray届いたけどなぜかTwitterのトレンドにマネージャーの名前があって、嫌な予感しかしなくて封も開けれず、このように鬱々とブログを書いている次第。

「すべては風っちが決めたことだよ!」
でしょうね。むしろ本人が率先してこういうプロモーションやってるんでしょうね。
完全にマネージャーに手懐けられて。また洗脳ですか。なんてちょろい天才なんだ。

いい歌をたくさん作ってください。
と、いってるそばから英語歌詞のみの新曲を発表されたそうで。
終わりのはじまりが早すぎる。

クズの権化みたいな芸人がスパチャを富豪のように投げまくるファンに名言を残していた。
「ファンは盲目たれ」

そりゃそうなりたかったです、私も。

人は皆、悪魔。我々がこの世に地獄を創る

桜井さんがただのおじさんに見えて辛いです。「歌の上手いおじさん」でも「才能溢れるおじさん」でもない、ただのおじさん。思い出が遠く遠くなっていくようで、あれらはすべて幻だったのか。いや名曲が残っているではないかそれを聴けばきっと。でも聴く力が残っていない。聴く理由が思いつかない。かてて加えて、もったいないオバケが老後の楽しみと称して残しておいたブルーレイが溜まりにたまって、それらが視線に入るたび後ろめたい。

「長年の信念が灯したロウソクの火を、突如現れた真実が無造作に消してしまう」

藤井風のも見てないのあるんだよなぁ。早くしないとこっちの賞味期限は早そうだ。昨今いろいろ言いたいことはあるんだが、ひとまず、JAPANはアジアではないのでしょうか?そちらがそういうつもりなら言わせてもらいますが、その髪型とそのビジュアルイメージ、湘南乃風で草。まぁ見た目はもうどうでもええ。アルバムだせやボケ。毎月1枚だせ。才能は枯れるものなんだぞ。温存しても熟成せずに腐るだけなんだぞ。出し惜しみしてる場合じゃねい。PCとスマホの壁紙は紅白初出場んときのやつ。それを見る度、この瞬間がてっぺんだったのかもなぁとしんみりしてしまう。

「辛い思い出にせよ、楽しい思い出にせよ、囚われていては誰も幸せになれない。それがこの世の悲劇」

先月、沖縄行きました、親孝行で。ということを強調して。母が死んだとき後悔が少ないように。言い訳ができるように。未来の自分のために沖縄に行きました。もう疲れて疲れてやっと振り返る余裕が出てきたのは1か月後の今。あぁ関われば関わるほど嫌いだわこの人。バカだなんだと罵り倒し、母を無視し続けていた父と、気づけば同じ態度を取る自分。救いだったのはずっと天気が悪かったこと。どんよりどよどよした空と海を見て、なんとか正気を保っていた旅でした。

「人は皆、燃え盛る家に住んでいる。消防車は来ないし、出口もない」

そんで今週は長野の友のところへ。丁度良い鬱憤晴らしになる。なんてウキウキしてると来月関西に連れていかれる。あっちはあっちで「きみの誕生日だから」を強調。「おれやったったってる」みたいな。やったったってるってあんた、ふるさと納税のやつでホテル代払って、飛行機はLCCで、おめーの好きなところ連れまわされるだけや。せめて美味しいものをと提案するも「3000円までなら、まぁ」はあああ???観光旅行で食費ケチるって何?割り勘っつってんじゃんよ。おごれってか?だっさ。ラーメン、お好み、ラーメン、お好みでもうええわ。だっさ。この人と会ってからの誕生日、辛いです。昔は楽しかったな。一人で好きなもの食べて、好きな映画見て。だったら断ればいいじゃんと。え、めんどいじゃん。断るの。断ったら続きがあるじゃん。けれども、私の我慢やストレスは麻痺していくじゃない。私の中で起こることだからどうとでも処理できるじゃない。そうやって生きてきました四半世紀以上。もう今さら。

「しがみつくより、手放す方が遥かに力を必要とする」

サカナクションの山口くんがYouTubeでゲーム配信してます。何百円かのスパチャのコメント読んでありがとうって言ってる。なんでこんな切ないことしているのだろう。リハビリっつったってもっとやりようがあったのではないか。桜井さんが氷室さんが同じことしてたら泣く。とはいえサカナクションをそんな知らんかったのにYouTubeのおかげで「配信で唄ってた曲よかったなぁ」と聴くようになっているので無駄ではないのか。「夜の東側」なんてもうタイトルだけで素敵やん。いい歌作ってたのねこの人。あぁだから寛容なのかファンの子たちも。「何したっていいよ、あんなにいい音楽聴かせてくれたから」と。なぜ私は良いファンになれないのか。なれなかったのか。自称大ファンの最大アンチ。一番厄介な狂人ファンに成り下がってしまった。

「恩義より恨みを返す方が人には容易い。感謝は重荷だが、復習は悦びだからだ」

というわけで、クリミナルマインド、観すぎちゃんでした。

横浜アリーナ「LOVE ALL ARENA TOUR」2023.2.14

「約束しましょう、幸せでいてください、いつでも、死ぬまで」

思いのほか、なんならこれまでいった藤井風ライブの中で一番いい席で、開演1時間前にやっとテンションがあがった。

食傷気味とか過ぎたるは猶及ばざるが如しとか、先人の素晴らしい言葉があってだな、1ツアーに3公演はやり過ぎたかなぁ、疲れたなぁ、動きたくないなぁ、寝ていたいなぁ、寒いなぁ、眠いなぁ、あー、あ゛ーー、あ゛ぁーーーっ。

というテンションでなんとかかんとかズルズル向かって、到着したら、席がバグってて、来てよかったと。ゲンキンなやっちゃ。

毎回泣いてしまう歌が違う。

「やば。」のとあるところで突然泣けた。
「誰も見捨てたりしないから」
やさしい。なんて優しい歌なのだろう。この人の歌はストレートに優しい。

その昔、桜井和寿の歌も優しかった。
遠回りするような言い方でも、弱いなりの優しさで、何もかもを吐き気がするほど呪い散らかしていた頃の20代の私には、じんわりとその優しが染みわたっていった。

藤井風の歌の優しさは、直球だ。
心地好いメロディでさらっと通り過ぎてしまうほどチラッとこっそりと、でも、鋭く優しい言葉で、一瞬にして体中を包み込んでいく。もし20代でこの歌を聴いていたら、たぶん、ウザいだけだったに違いない。

そもそも前半の「旅路」でもうだめだった。
「何かを愛したり 忘れたり 色々あるけど」
まるで、臨終の時に見るという走馬灯のような歌だと感じた。

意外にも「死ぬのがいいわ」でもタガが外れてしまった。
二度と会えなくなるくらいなら死んだ方がましなんて思ったこと、、と考えていたら、父と妹のことを思い出した。この歌の「おサラバ」はほんとうの「おサラバ」なのだ。

そして次の「青春」。
青春の、ではなく、人生の終わりを感じて、泣けて泣けて仕方なかった。

まさかの「きらり」でも泣けてしまったくらいだった。
「生きてきたけど全ては夢みたい」
「きらり」とか「さらり」とか、そんな言葉が、一瞬の強い突風のような言葉が、まるで、ひとときで通り過ぎてしまう一生のようで。

いや泣きすぎやろ。

昔から、どんな明るく眩しい歌だとしても、終わりを、「果て」を感じられる歌が好きだった。けれど藤井風の歌は「果て」の先の「死」を思わせた。死の淵に立って、あるいは、もう「向こう側」にいるような。それなのに絶望も地獄も悲壮も虚無も溢れない。ひととき、眩しく通り過ぎ、その後に残るのは、温かく柔らかな慈愛。

わかっているのだろうかこの若者は。自分の歌がそういう歌であることを。
彼自身も、自分の歌の良さに心底気づくのは、もっと年齢を重ねた頃だろう。

宗教家の受け売りって言う人も言いたいことはわかるが、そうだとしても、いや、むしろ、そうであるからこそ、宗教なんてイカサマと育てられた人間が、そして今もその親の思想に異議なしと思っている偏狭な人間が、この人の歌に耳を傾けると、まるで宝石のようにキラキラした宝物を渡されたような気がするのは、それはもう、彼にしか創造し得ない、唯一無二の音楽だからではないだろうか。

「何かを好きだと思うことは、それの良さがわかるという才能があることに等しい」と尊敬するおじさんが言っていた。

「あなたはわたし わたしはあなた」
藤井風の才能が素晴らしいと気づいた私も彼と等しく素晴らしい才能があったってことに気づいた。だいぶ都合がいいが、それに気づいたあたしよ、よく今日まで生きてくれた。
あたしに会えてよかった、死の前に。

一歩でも死が近い人間ほど、彼の歌の輝きが増すのならば、しゃーなし、生きよう、死ぬまで。
せめて藤井風の歌が聴こえる間だけでも幸せに。

だから、約束して欲しい、死ぬまで歌い続けると。