fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

「仕返し」だけが希望

「きーみにらーぶそーんぐをー送ろうぉ なんたらかんたらー孤独のメロディー その耳にだけーのこーるよう こーえもなーく うたーう」

つってね。
この部分だけのスポットを見たとき、うんざりでした。絶望でした。いや、安堵だ。「よし、次のアルバム、自信を持って買わないと言える」と。

ここ最近の、2枚くらいのアルバムの体たらくぶりの流れで、また大袈裟でただ暑苦しく薄っぺらいラブソングですか、と。
どうしたんですか「届いてくれるといいな君のわかんないところで僕も今奏でてるよ」のひっそりとした熱さは。もしくは「君が好き僕が生きる上でこれ以上の意味はなくたっていい」の潔さは。もしくは「何を犠牲にしても手にしたいものがあるとしてそれが僕と思うのならもう君の好きなようにして」の聴いてる方がひくぐらいの気狂い加減は。おまけにタイトルは「miss you」っつってさ。さようなら桜井和寿の歌。

と、呆れ果てた私が最後の親指の力を振り絞って、おすすめに表示されつづける「ケモノミチ」フルバージョンPVをついに見た。仕方なしに、暇つぶしに。

鳥肌。
ちょっとまて、あの歌、この歌の一部?タイトル違うのかなんて小さな問題はさておき、こんな歌にあの甘い歌詞がくるのか?

そうだった。桜井和寿の歌はそうだった。
呪いの歌がラブソングに、その逆も。優しい恋の歌が生き詰まる愛の苦しに悶えるような。聴く人を鼓舞してるフリして実は自分に言い聞かせていたり。
諭すのではなく、奮い立たせるわけでもなく、愛って素晴らしいと能天気にいうのではなく「僕だってそうなんだ」とたった一言で優しく包み込んでくれた。
聴き終えた後は束の間、一瞬でも、どういう状況にいても「愛」や「幸福」や「自由」を信じられた、たとえ勘違いでも。
手にしたことなどなくても「希望」という暖かい温もりを運んできてくれた。
そんな歌だった。だったじゃないか。

忘れていたわけではない。覚えていたからこそ、昨今のミスチルの曲が私のどこにも触れずに、ただ右から左へと通過してしまったのだ。
だから私のせいでは決してない。断じて私のせいではない。誰のせいって。

何度も聴いている。桜井和寿の新しい曲を何度も聴いている。何年ぶりだろう。
慌ててアルバムを予約した。

まだ生きていたのか桜井和寿。息を吹き返してくれたのか桜井和寿
それともこれが本当に最後のファイナルラスト名曲なのか。だとしても。

もしかしたらアルバム全曲中、名曲はこの1曲だけかもしれない。
それでも構わない。3,500円以上の価値のある1曲。
私にとっては、様々な意味で「希望」の歌なのだ。