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everywhere I'll go

パナスタ「LOVE ALL SERVE ALL STADIUM LIVE 」2022.10.16

この先もう二度と藤井風の歌が聴けなくなっても構わない。

ライブの感想はこの一言に尽きる。

最近はスマホも高性能だし、今は観客が声を出してはいけない縛りになっているから、録音したらよかったかもなぁと思ったりもするんだが、きっと私は聴き返すことはない。どうせブルーレイ出るでしょうし、記録として残すなら、そっちの方が出来がいい。

何を聴き返しても見返しても、あの時のあの感動は同じように味わうことはない。あの時あれだけ感動したって事実だけは鮮明に記憶に残っているから、それをここに書き記す。

混雑した新幹線のぞみ藤井風号は、テンション高めの、酒焼けしたおばさんのガラガラ声と、若い女のキンキン声が入り混じって、カオスというより地獄絵図。間違って乗ってきちゃったノートパソコンを見つめるサラリーマンがサムライに見えたものだった。

ついた先の大阪は暑くて。晩夏でさえない。真夏。晴れ過ぎ。
ったく、駅からアクセスも悪いし、なんでこんな辺鄙なとこでやんねん。
あぁそうか、岡山近いからか。なんやねん。里帰りのついでかい。

会場回りは、なんかあれです、フードなんたらとか言って藤井風プロデュースのビーガン屋台とか出ちゃって、なにやら宗教染みた国旗的なものぶっささってたりして、まつり、なんでしょうが、まぁ正直そういうのは ap bank fes で食傷気味だったので、スルーです。グッズもスルー。ねまきに4000円もだせない。つかパンフレットなんで出さないねん。

しかも想像していたスタジアムが最近おじゃました日産だったせいで「しょっぼっ」て席に座った瞬間思ったものでした。

とま、ブーブーよ。
どうしてだかわかります?
前回のalone at homeの弾き語りライブの茶番で、出鼻くじかれてるからよ。

たとえ、このライブが散々でも、美味しいフレンチ食べたし、美味しいパン屋も見つけたし、でぇじょーぶ。大阪観光のついでさよ、と、ありったけの、引けるだけのすべての予防線をひいて、挑んだわけです。

そして「何なんw」で登場した藤井風は、カリスマを超えてもはやホトケ。オーラではなく、後光。
けれど、歌ではなく、お経、とはならず、あくまでそこにあったのは素晴らしい音楽家の声と歌。

2時間、圧倒されたまま、ふっと、ロウソクの火が突然ふっと吹き消されるように、終演した。

降伏な、幸福な気持ちで会場の外へ、現実へ戻って、見まわした景色は、ただの街灯がイルミネーションのようにキラキラと滲み、あぁ、これだ、これが、ライブの終わりの真骨頂だとまた泣きそうになってしまった。

泣いていたのだった、ライブ中、何万年かぶりに。
センターでピアノソロ演奏が始まって徐々に底なし沼に引きずり込まれるように、はたまた、空の果てへ吸い込まれるような、なんとも言えない高揚感に浸って油断していたら、バンドの音が静かに重なって「ロンリーラプソディ」だと気付いた瞬間、涙がポロポロこぼれだし「それでは、」まで全く止まらず、そこからは、ことあるごとに泣いていた。
義務マスクが気持ち悪くて仕方なかった。

これがライブだ。

これでこれまでのすべては帳消しだ。これからのすべても。
あの意味不明なバラエティー番組も、三軒茶屋の悲劇も。
これからどんどんインド宗教家染みてきたとしても。

二度と歌が聴けなくなっても。

こんな幸せがあるだろうか。

宗教にはまってしまう人は何か、未来とか、救いとか、癒しとか、そういうのを求めて縋りついているのかと思っていたが間違いだった。
何もないのだ。
「その人」の言動に、後にも先にも得難い幸せを感じたから、もういいやと思ったのだ。それは感謝とかお返しでもないような気がする。
「この人」のせいで何もないことに気づいてしまったけれど、ここが終着駅で構わないやと。
この駅で待っていても電車は止まらないし通過もしない。それで構わない。
もしかしたらこの先「この人」の言葉に何も感じなくとも。
たった一度でも、とても幸せだったのだから。
半ば諦めにも似た気持ちで、入信してしまうのではなかろうか。

少なくとも私は、もういいや。もう充分だ。今まで生きていてよかった。今すぐ死ねたらいいのにと思うほど。

それほどいいライブでした。