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everywhere I'll go

無宗教者が宗教をテキトーに語る

「わしの信仰心をどうにかできるとでも思っとん?wざんねん、なんもできんよ」
「他人の粗探しするより自分の心配したほうがええで、お互いな」
「とにかくすべてお片付けや、今年はおわりおわり」
とまぁ、怒り通り越し過ぎた人が冷静を保とうとして笑顔になっちゃってるという、そう、あの懐かしの「笑いながら怒る人」竹中直人の古の芸を素でやっている、一番触れてはいけない精神状態の表情で、藤井風がストーリーをあげた。どしたん?とツイ見てみたら藤井風のTwitterが空っぽになっていた。

ちょろっと、ざざーっと、ツイ漁ったが、まぁだいたい2種類。
「風くん!よく言ってくれた!私は風くんを信じてる!今年の最後に素敵な笑顔ありがとう!私もお掃除がんばる!」
「風氏サイドがそれを公にせずサイババの言葉をスローガンとして掲げ、その思想を音楽に込めるのは、無知なファンを無意識にその宗教に誘導することになり、非情に危険ではないか、キリッ」

もっともっと時系列調べたり検索したりなんだらすれば、どうしてこんなことになってんのかわかるんだろうが、面倒くさいのでやらない。まぁ大体想像するに、この前のNHKでインドウルルン見る→初見さんたちがサイババを知る→アンチ茶化す→藤井さんおこでツイ全消し→タリアンちゃん悲鳴→藤井さんギリアウトなストーリーあげる→タリアンちゃんアンチ撃退に歓喜→にわか宗教評論家たちお気持ち表明、といった感じなんではなかろうか。知らんけど。

知らんけどもよ。

突っ込みどころさんが多すぎで、書かずにはおられん。
カラオケで藤井風歌いまくって、いい気分で帰ってきて、お風呂入って、ぬっくぬくでインスタ覗いたら、こんなんで、もう体ひえっひえよ。

まず、お気楽極楽のタリアンちゃんたちは通常営業で、もうなんだったら一番正しいリアクション芸で、羨ましいまである。

次、にわか宗教評論家たち。きみたち、もしやこの前まで、LGBTQなんたらかんたらで騒いでなかったかい?その前はフェミニストって名乗ってなかったかい?その時々でクルクルと呼び名が変わる人たちですよね。声デカイんだよなぁこういう人たちは。こういうのが最先端のファッションだっつって猫も杓子も闊歩し始めてから、エンタメ、つまらんくなってきたんよ。罪深いよ。

次、藤井風スタッフーぅ!わかってたよね?アルバムタイトルをあれにしていいと本人に許可を出したときに、いやもう岡山から引っ張り出してきた時から、こうなることは想定内だったよね?だったら、本人に説明したんだろうか。絶対こういうことになってこういうことを言われるけど、そうなってもノーリアクションでいけるのかと。それともなに、そうなったら好きなようにプロレスしてもいいぞっつったんか?

私がそれを知ったのはファーストアルバムのタイトルの意味を何気なく検索したら、サイババがヒットしたときで、そん時は「ほえー、まじか。信仰までも明後日の方向からくるか」と。それくらいよ。そして歌を聴けば聴くほど、サイババはさておき、彼の精神「すべてを愛で受け入れ、そして手放す」は、この年齢で素晴らしいと思ったし、それを耳心地のよいメロディに乗せ、美しい歌として成立させるなんて、本当に天才だわと、ただただ感心したものよ。

さておけないのか。さておこうよ。いや、おけないよな、わかる。なぜか。
サイババだから。イエス・キリストだったらスルーされたきっと。

サイババの日本での印象はアレだから。小さい頃、テレビで何度も見た。彼が病人の体に手をごにょごにょすると、手の中には取りだされた内臓があって、そして内臓を再び体に戻すと、あら不思議、元気になりましたっつって、見た覚えあるもん。すっごおーい!って幼気な少女が目をキラキラさせて言うと、無表情の父が「インチキに決まってるだろ、くだらないから消せ」つってね、吐き捨ててたもの。

で、サイババのことを調べました。
なわけない、嘘、ませんよ。
薄っぺらいまま語り続ける。

インドは仏教よね。多分それを軸に様々な宗派が生まれて、その一人だよねきっと。でやっぱそんな状況で信者増やすためには、目立たないと。で、故の、苦肉の策の、あのパフォーマンスになるわけよ。まぁやり過ぎだけれどもね。でも基本は仏教なんでしょ?きっと。だって藤井風の歌って仏教徒でなくても、仏教思想っぽいよねー、くらい思うじゃん。ねぇ。

それもあかんのか?仏教思想強い音楽、だめなんすか。クリスチャンが手塚治虫ブッダを読んで希望を見出したら危険ですか。ムスリム遠藤周作の「沈黙」読んで感動したら異教徒だって袋叩きにするんですか。

あかんかどうなのか、本当のところはわかりません。だって私は無宗教者だから。
日本人の大多数が無宗教者で、だからこそボケるほどの平和な毎日を過ごせているのではなかったのか。ウン十年生きてきて、無宗教大国でよかったと思うことの方が多いのだが。だって、クリスマスにケーキとチキン食べて、1週間後には神社に手を合わせて天ぷら食べて帰るのよ、あたしたち。カオスバンザイよ。

そんな日本で、なぜ、急に、宗教うんぬん出てくるのだ。
いや、出てきてもいい。宗教について話し合ってそれを深く学ぶことはよいことです。私は学ぶつもりはイチミリもないですけどね。もうなんも吸収できませんから。

件のにわか宗教評論家が、こんな怪しい布教方法をとっていると、信仰心の高い海外ではこの音楽は受け入れられないっつってたけど、そんな視野の狭い信仰者はそもそもイエローモンキーの音楽なんて見向きもしないのでは。

彼にとって、仏教を知るわかり易いツールがサイババだっただけで、それを耳に入れ、脳で判断し、心でかみ砕き、口から発し、メロディに乗せ、名曲を作り得たのは、紛れもなく藤井風本人の生まれ持った資質だ。だから、誰が彼の音楽の根源かをどうしても特定したいのであれば、それはもう、産み育てた両親でしかない。興味があるとすれば、両親が何を彼に与えたのか、だ。

「帰ろう」を聴いて、藤井風すごいわってよりサイババすごいわってなる人もワンチャン、いるかもしれません、風くんが妄信してるならあたしもサイババ妄信だぞってなるピュアっこも、いるかもしれません。

で、それの何が危険なのでしょうか。

音楽なんて宗教みたいなものでしょうよ。いや音楽だけじゃない。映画監督にも、作家にも、YouTuberにだって、いやもっと言えば恋をした相手にだって、私たちはそれらの人たちの言葉や作品に触れ、時に感動する。その度に、知らず知らずのうちに、それらの人たちが信じるものを、手放しで等しく信じる。その瞬間だけ、あるいは、その瞬間から、「救われた」と思うことが、罪なのでしょうか。

おい、もう、お日さま出てるって。この大晦日になにをさせんねん。

まとめ。
今回、何が一番、いけなかったか。
ひとえに想定内であったはずの騒動の対応をスタッフが本人とシュミレーションしてなかったこと。

ん。

想定してたのは、あんな煽るようなインスタをきっと本人があげることまでも、か。それを自由にやらせることにより、彼は、他のアーティストとは一線を画す、骨太な物言う音楽家なのだと印象づけたかったのか。今頃しめしめとなっているのだろうか。

だとしたら、それは、それこそ、サイババのパフォーマンスくらいやり過ぎだったと思いますが。村化したくないみたいなことおっしゃってましたが、これじゃあ村化一直線ですが。

「藤井風本人にはお咎めなし?あんたも右に同じタリアンじゃん」っつったそこのあんた。

咎めもなにも、あの竹中直人的ストーリー、あのツイ全消し、これら全てが、一般のそこいらじゅうにいる、ちょっとイキリ始めた25歳の若者のリアクションそのまんまで、むしろホッとしたくらいよ。人間だったんだわ藤井風も、と。

私が彼みたいに才能があってみんなにワーキャー言われるほどの25歳だったら、同じことやってたわ。やるっしょ。やりたかったわ。オラオラしたかったわ。

ん。

僕は君だよ 何も違わないよ

まじか、伏線回収されたわ。おい、この一連の騒動の本当の黒幕、目の前にいたって。
だとしたら、それこそ、大物宗教家並みの策士だわ。

はい、入信します。