fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

去り際の時に何が持っていけるの

「私が貯金ゼロで未婚なのは、あんたがこれまでかたちのないものを選んできたからだよ、と妹に言われた」

という2008年の下書きがあった。
いっこも覚えてない。

他にもいくつかあって、その頃職場で働いていた美人の女の子の話とか、好きな人に会えなくて悲しい話とか、いろいろ一生懸命書いてるみたいなんだが、誰なのか、何なのか、どこなのか、全然全くイチミリも思い出せなかった。

私がこうやって書き留めているのは、いつか、老後の楽しみに読んでみてもいいかなぁと思って書いているんだが、この分だと、ほぼほぼ何も思い出せない。思い出せなくてモヤモヤさえする。これじゃまったく意味がない。

好きなドラマの「刑事ヴァランダー」のラストシーン。
若年性アルツハイマーになってしまった主人公が同じ病気を患ってそのまま死んでしまった父の幻影と海辺でこんな会話をする。

「続かないんだ、父さん、全てがね、途切れてしまう、つながらない」

「一体何が」

「記憶だよ、人生も終わりだ、思い出せない」

「他の誰かが覚えている、お前の代わりにね」

すると、孫を連れた娘が「大丈夫?」と声かける。ドラマ全編、終始穏やかさを微塵も味わえないでいた主人公が、この上ない幸せな笑顔で「大丈夫だ」と答えエンドロールが流れる。

とても良いドラマだ。

でも、そう私には、私のことを覚えておいてくれる人がひとりもいない。
だからせめて自分だけでも覚えておいてあげないとと思っていたのだが。

すまない、私。
私はあなたのことを全然覚えてないみたいだし、このブログというヒントを残しておいてくれても、一向に思い出せない。

相変わらず貯金はないが結婚してしまい、職場のつらいことも、好きな人も、会いたい人も、覚えておきたい妹との思い出も、何一つなくなってしまい、かたちあるものばかり増えて捨てるのを持て余している今の私を見て、天国の妹は何を思っているだろう。

死とは世界が終わるということなんだ、みたいなことを岡田さんが言っていた。
だからいいか。
結局なにもかもなくるのだから、その少し前になにもかも忘れたところで。

急に虚しくなってきて、ブログでも書こうとしたら過去の知らない自分のひとりごとを見つけたら、さっきまでの虚しさも忘れて、なんか映画でも見ようとちょっと持ち直した。

役に立ったわ、ブログ。
2008年の私に感謝。