いよいよ、これを書くことしかやることがなくなった。
ずる休み2週間目ともなるとね。
1週間目は毎日電話してたが、2週間目からはめんどいので、「1週間休む」としてしまった。
いくら有給があるからとはいえ、足りないけれど、一回辞めて、また探すよりまし。
かなり会社には行きずらいが、「入院」という不確かな免罪符もあるし、いいだろうぜ。
いろいろと生きていた。
まず
ミスチルの西武ドームライブ中も私は生きていました元気に。
寒い。ドーム、ってのは名ばかりの「上にドーム型の屋根のある吹きっさらしの寂れた野球場」。
桜井御大はといえば、始まって3分もしないうちに、つまずき、着地点のないMCには拍車がかかり、仕舞には「ここ、東京ドームは・・」つて。
あそこにいた大半の人たちは、東京ドームからハミだした人たち、だっただろうに。
選曲も「デルモ」「1999年、沖縄」とかもう、自爆弾が投入。
「周りの反対を押し切って」とひとり弾き語りで3曲くらいぶちかましていたが、これがこの時期恒例の都市伝説「桜井ソロ計画」の一環かとさえ思える。
こんだけいっても、まぁ、よかったんじゃないかね。20周年とか置いといて。
DV男から逃げられない女みたいな思考になってまいりました。
誰かが言っていた「20年も売れ続けるって」と。
確かになぁ、20年も稼ぎまくり。
頭もおかしくなるよなぁ。
つかソロかぁ、なるの?ベックス?あらまあ。
次。
キンカンニッショクの日も私は生きていました畏れながら。
そんなに騒ぐことなのか。朝からスマップ呼んでまで。
何百年も前から決まってたことなんでしょ?そして何百年後も必ず起こることなんでしょ?
それのどこが楽しいのか、ワクワクするのか、こんだけ大騒ぎするのか。
まったく理解不能意味不明。
次。
ナマカツポゴ騒動中も私は生きていました立派に。
あたしももらいたい。
間違いなくもらえる、はず。
父はガンを患っておりまして、母も老年で通院中でして、妹も退職し、もう一人の妹とは疎遠でございまして、親戚も母方とはもう30年近く疎遠、父方の親戚も老年で厳しい状況で、当の私はといえば、ほれこの通り、重度のウツと診断書も発行されておりまして。(あたしならそんな診断書一発発行さ、いつになく自信アリ)
というわけで、月15マンくらい、ちょ。
ん、もらえる。
あぁ、もうもらえないかなぁ。
余計なことしてくれたなぁおもしろくない芸人たちよ。
ハナからおもしろくないんだからせめておとなしくしとけよ。
生きている。
私はゴミ溜めみたいなこの場所で生ゴミみたいに腐りながら生きている。
仕事行かなくていいだけ、穏やかなゴミ人生。幸せなの今私。
なのに、ゴミとして生きるとしても仕事だけはしなくちゃいけない。いけない?
あぁやっぱり、覚えたての職業名ナマポになりたい。
と、つぶやいたら、となりの男が「おれは前向きな女が好きだそんなのはダメだ」という。
しばしの絶句の後「それ、女とつきあってるつもりが実は男とつきあってたくらい、間違ってる、最初から間違ってます」と親切に教えた。
いつからゴミを手にしだしたのか、そもそも主の私が生まれながらのゴミなのか。
Sumallyというサイトが好い。
アクセスするたびトップが変わり、
あそこに出てくるモノに囲まれたような世界で、生きたかったさそりゃ。