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everywhere I'll go

サイコパスなオタキングというおじさん

岡田斗司夫という人のYouTubeをよく見ています。
10代の頃にこの人のチャンネル見つけてたらどうなってただろう、私の人生。

とりあえずジブリをちゃんと見て、宮崎駿を好きになっていたんじゃなかろうか。
ガキが大嫌いな私にとって作品の主人公がほぼ子供という設定だけで嫌悪の対象。
それでもテレビでやってれば、こんだけ騒がれてるんだから何かあるに違いない、と毎回観てたが、元気でわがままな女の子がギャーギャー騒いで好き勝手やって世界めちゃくちゃにして、バイバーイ、みたいなのがどうしても好きになれなかった。
やっぱガキ嫌いだわ、以外なんも入ってこん。主人公に対するイライラばかりで。

人に誘われて仕方なし映画館で見たのはだた一つ、ポニョ。よりにもよって。
感想は、かわいいね、くらい。駿の描くキャラクターはかわいいなと思う。
まっくろくろすけとかねカオナシとかね、かわいいなって。それだけ。
内容ないのに無理やり説教臭い感じするのも嫌いだった。
かわいいキャラがでてくるだけでいいじゃん面倒くさいなぁ。
くまのプーさんアンパンマンでいいです私、と。

でも岡田斗司夫の話訊いてたら、宮崎駿の人物像は好きになりそうなタイプのクリエイターだった。
斗司夫のジブリ愛が強すぎて、深く深く作品を掘り下げすぎて、正直ほんまかいな、と思うこともしばしばで、ジブリ側は彼の話を聞くなって言ってるらしいけど。

でも彼のその作品の斜め上目線どころか、異次元的解説が面白くてジブリを見たくなる。いや一周回って、どんなバカにでもチョンにでも全ての視聴者に伝えきれない駿はやっぱりプロクリエイターとしてダメなんじゃないか?とさえ思えてきた。

まぁ、そもそもオタクが一生懸命まったく意味不明なことをまくしたててる姿が好きなので、それだけで彼のYouTube見ちゃうのよな。

アニメ映画の話以外でも、ずっと覚えておきたい話もある。

一つは、全てのことは親から押し付けられた遺伝子で決まってしまうということ。
努力をすれば変えられる、なんてなく、その努力ができるできないということさえ遺伝子レベルで決まっている、みたいな話。

二つ目は、親孝行なんて0~3歳まで生き抜いてくれさえすれば、その年代の子供の可愛さはとてつもなく、その幸せを味わわせてくれただけで、もう親孝行は終わっていて、なのに、いつまでも親不孝だなんていう親は、それは元本が払い終わっているのに、利子をよこせといっている悪徳高利貸しと一緒だから、そんな親からは離れたほうがいい、というような話。

もっともっと、あと30年前くらいにこの話を聞きたかった。

彼の言っていることがデタラメとか科学的に証明されていないとか、そんなことはどうでもいい。
ただ、そういう考え方もあるんだよということを、残酷なほどに潔く示してくれることが大事だったのだ、10~20代の頃は。

若い若いあの頃に、この話を聞いていたらどれだけ救われて、どれだけ諦めきれただろうか。つきまとっていた呪いを投げ出して、全く別の何かを探せたのではなかろうか。

いや違う、そうか。
たとえ10代の頃、岡田斗司夫の話を聞いていたとしても遺伝子レベルで、ここの、この同じ場所へ戻ってきたに違いない。
だから、嘆くことも、後悔することもない。
間違った選択も、不幸な結末もない。
これがこれしか答えがなかっただけなのだ。

「間違いじゃない いつも答えは」
ひとつだったのよ。ひとつと歌ってくれてよかったのよ。

素晴らしい。
岡田斗司夫の言葉は初老の助けにもなる。

人間はいつだって少しの助けで諦められる。
そうしたらいつでも笑っていられる。
人生は喜劇だっていう余裕な人たちの言葉もまぁそうかもねと頷けるようになる。

やば、ポジティブ過ぎてもうすぐ死ぬんじゃね。