fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

夢はすてたと 言わないで

好物を並べて酒を飲みながら紅白を見て、悪態ついて泣いて年を越すのがここだいたいの約20年、何がどうであろうとできる限り一人で。でも今日は食は進まず、途中で胃薬飲んだりして、酒の度数も低くなっちゃって、聴いたこともない歌と見たこともない歌手の人に、はじめましてさようならを繰り返しつぶやきながらも、怒りも涙も溢れてはこなかった。これが老いなのか、もっと老いるのか、来年は、再来年は。こうやって楽しかったささやかな決まり事も、薄れて消えていってしまうのかと、少しぼんやりと見ていたら、ビートたけしが「浅草キッド」を歌い始めた。泣いてしまった。私は芸人でもないし、夢を追っていた覚えもない。それなのに、泣けて仕方なかった。
「ずいぶん年をとったねぇたけし」では済まされない彼の分厚い人生が滲みでていた。家族を友を見送って、そして自分もその人たちのいる場所に確実に近づいているのを達観しているかのような、ポツネン特融の哀しみと優しさが入り混じった歌声と佇まいは、圧倒されるほどの説得力に満ちていて、ぐうの音も出ないほど、泣けてしまった。

よせばいいのに、このことを男に話してみた。「芸能人のことで泣くとかないんだよね、でもバンプミスチルの歌は自分と重なるところがあって泣けるんだよね」と。自分の何と重ねたのか。そんなことしようと思ったこともない。芸能人のこと、じゃないんだよ、その人の表現した何かを見たとき聴いたとき、ふと、会ったことも話したこともないはずのその人の、どうにもならないもどかしさや、覚悟や、強さや、底知れぬさみしさを、ふっと感じてしまった時、思わず泣けてくるという話をしているんだよ、そうして、自分の奥底にあった哀しみをも思い出してしまうことさえあるんだよと、懇切丁寧に説明する気力があるわけもなく「とりあえず絶対に笑ってはいけないの続き見なよ」と気遣って電話を切っておいた。

妹は、ビートたけしが好きだった。好きというのは、ほんとうに好きという意味で、例えば好きな男性のタイプは?という問いに「ビートたけし」と答えるという、そういう感じで好きだった。彼女が今日のたけしを見たらどんな風に話していただろう。絶対泣いていただろう。私もこんなとこに書き込む暇などないほど、彼女とこの一曲で明け方まで話していただろう。

唯一の友は、遠いところでお金に追われる日々を過ごしている。倒れるまで働いている。「働かないで餓死するか、働いて過労死するか、どっちにしても同じなのよ」と、また名言を吐いていた。出会った頃の彼女の夢は写真家だった。

夢なんてあったこともない、幼い頃から。でも、夢見るような夢のような日々があったことを覚えている。
それだけで、全く自分と重なるところはなくとも、それだけで十分、今日のビートたけしにはガツンとやられた。
夢がたくさんあった妹とこの話をしたかったけれど、できないので、ここに書いた。