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everywhere I'll go

「ワールド・オブ・ライズ」を観た

・・・ってぇかぁよぉ。
原題「BODY OF LIES」のままでいいんでないか?
英語のタイトルを英語で訳しちゃったよ。

最近「いいよ無理に邦題やサブタイトルつけなくて」って思うことが多々あるのですが、世の中にはそれでご飯を食べている人がいるのだなと考えると、そうカンタンに声を荒げて、いらねーいらねーとも言えなくなりました。

え?今さら、プリ夫?とおっさらないで下さいよ。
「ギルバートグレイプ」から、もう彼から目が離せない。
必ず、レオを観るなら映画館と決めている。
ここ最近メキメキいい感じにおっさんになっていて、
今だから、今こそ、ディカプリオなのである。

別におっさんが趣味ってことじゃない。
何が好きかって、彼が演技しているあの様が好きなのである。
どんな役をやっても、狂気や、薄幸や、悲愴や、死が、彼の周りにまとわりついていて、
だからこそ、穏やかなシーンの声や表情が、今この一瞬だけだと、とても儚く美しく映る。
そういうところが見逃せないのだ。

どこの映画館もキアヌ作品押しで、そりゃそうだなと、この映画を観て思った。
あちらはおそらく娯楽作。こちらは社会派。到底、年末年始に観るような映画じゃない。
半分ドキュメント、半分ノンフィクション。
題材も、中東のテロリストに潜入捜査をするCIA捜査官の話だ。
登場人物たちも本当にジーニアスな男ばかりで、その男たちが嘘をつきあうというものだから、もう、脳みそをフル回転させないといけない。

社会派映画と一言でまとめてしまったが、そんなゴリゴリの男臭い映画というだけではない。
一人のCIA捜査官がテロで荒れた中東の街でスパイとして生活し、テロリストの首謀者を探し出すという任務を遂行していく。
覚悟はしていながらも、そこで育てた友情や、信頼や、愛を、失ったり失いかけたりしながら、肉体的にも精神的にも傷ついてゆく。
その中で、今自分がやろうとしていることは一体何なのか、信じてきたことは何だったのかと、この戦いの本当の意味を知ろうと、悩みもがく。
その果てに、ひとりの人間としての答えを見つけ出す。
そういう、一個人の人生の一部を記録している映画のようにも思えた。

そして、なんともまぁ、大嫌いなラッセルクロウが、もう怪演。脱帽。
彼が演じるディカプリオの上司。安全な場所にいて命令を出し、まるで自分を中心にこの戦いがあるのだと勘違いしている男に見事に「なって」いた。
自分を「アメリカ」と呼ぶこの男の存在が、作品を観た者が「こっちが正しい」「いやあっちが正しい」と、そんな安い会話ができないような映画に仕上げている。

見応えあり。
けれど、「むずかしーこと、わっかんなーい」という、素敵なサンタを持つ、特に、「ディカプリオ、昔かっこよかったよね」なんつー、かわいい女子には、まったく向いてない。

ということで、そういうかわいい女子が、サンタときっと観にいくであろう「地球が静止する日」も、もちろんひとりで正々堂々真正面から観に行こうと思っている。