歳を取って自由を捥がれても
忘れ得ぬ人だけが心にいる
その日が来るのをどこかで願ってる
なんて幸福だろう「その日」が来たら。
「心の岸辺で」という言葉もそうだけど、この歌は、寂れた場末でたどり気づいた恋を思わせる。
その人のことだけ考えていればいい。
あの人のことだけ思い出していればいい。
だってあとは何もしなくていい、出来ない、不自由なのだから。
身体的不自由のおかげで果てなく心は自由なのだから。
とはいえ、10年くらい前だったら、わたしにも歌にしたいくらいの「忘れ得ぬ人」のひとりくらいいたのだけれど。
こんな自由過ぎて、ガッチガチに不自由な日々を強いられ続けていた間に、忘れ得なかった人も薄れて擦れて、せっかくこんな名曲を聴いても、誰ひとり、過ぎらない。
もはや、そういう人さえ消え失せた、わたしの一生って、何なのかと、そっち回りで泣けるのだが。
何のために生きてきたのか
というと
何かのためにすっごい生きたかったってことになるから、言うなれば
何でまだ死なないのか
が妥当なただいまの心情であります。
30日食わなくても人は生きれちゃうと、どっかな暇なおっさんが実験していた。
なかなか簡単には死なせてはくれない。韓国に行ったって死なない気がする今のわたし。
それくらいのヒキの悪さに覆われている気がする。
じつは、自由をそうそう上手い具合に捥がれたりする日は、それこそ、選ばれし人だけにしか訪れないのかも。
何かの気まぐれで、わたしにもそんな幸せな日が来たら、桜井和寿の歌だけ思い出せればそれでいい。