fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

Mr.Children 「REFLECTION」{Naked}を聴いた

fantasy
CMでちらり流れてる時から‘よさげ感’を醸し出してたこの曲は、期待を大幅に上回る名曲。
聴いた瞬間から嗚呼となったアルバム曲では「エソラ」依頼か。やめよう嫌味はやめようではないか。
“・・・撃ち殺して逃げた 僕らは愛し合い・・”’と続くところは、文学とさえ感じるのです。

FIGHT CLUB
なんか出だしがバンプっぽいか?で結局はトライプレインぽいという。やめようやめよう。
たまたま最近ファイトクラブ見直しといたことが意外なとこで報われる。
映画のネタバレになっちゃってる。99年で若いってことは・・がんばるおっさんソングです。

斜陽
テレビで最初に聴いたときは吹いてしまったんだが。だって民生がふざけて唄う(あの方は大真面目にふざけるプロなんだが)曲調に出だしがそっくりで、そこにまさか甘い桜井の歌声が乗っかるとは衝撃的。だから歌詞はほとんど入ってこず、というか入れたくなかったというか。まぁ改めて聴くとね、好い曲。

Melody
シングルで聴いた時より好印象なのはそれはもうLIVEのせいではある。やっぱり“クリスマスみたいに”が好い。これからもLIVEでレギュラー化して欲しい曲だし、LIVEで唄ってこそ好さが増す曲だと思うんだけどなぁ。難しいかなぁ。

蜘蛛の糸
まさに‘目がくらむ’ほどの美しい曲。強く眩しい光なのに‘蜘蛛の糸’という頼りなさだってところが儚げで、やっぱり美しい。

I Can Make It
はじめからおわりまでずっとかっこいいです。サラリーマンの皆さんとかたまらんのでは。

ROLLIN' ROLLING~一見は百聞に如かず
出だし、笑ったよね、笑うよね。‘ごしゅぅじぃぃん(ご主人)~’、い、稲葉?と思うや否やあのギター。ま、松本?合計B'z?とにかくあのお二人が浮かんで仕方なかったんだけど、最初は。ただやっぱり歌詞でねじ伏せられる「ミスチルですから」。唄いたくなります思わず。散々っぱら言っちゃったけど、B'zって単語は褒めるときに使う単語なわけで、好い曲に違いはございません。

放たれる
女言葉。名曲。泣くからLIVEで唄わないで、唄って。まさに全てが放たれてしまう。聴き終えた後は爽快感さえ残って、そういう意味で真の脱力系というか脱皮系名曲。

街の風景
生命保険のCMで使われたような。そんときは「あぁ~平和系、ファミリー系、ですか」と聞き流した。
今回改めて聴きいたらすみません、地味系超名曲。1コーラス、2コーラス、3コーラスと聴き進めるとクレッシェンドするようにせつなさが増していく。この曲も文学的オチが好みです。

運命
これカルピスかなんかで使われていやしなかったか。まぁまぁカルピスさんこんなおっさんバンドの曲使ってくれるのか、がんばれおじさん、と思ったもんだったが、やっぱりすごくがんばっていた。サビがいい。

足音~Be strong
でましたか。これについてもなんか言わなきゃだめか。ん。
これがシングルで満を持してと、「コバタケからの脱出」と、旗を掲げられたときは、正直わたしの脳に終了の鐘がゴーンゴーンと鳴り響いた。
たぶん「終わりなき旅」的な位置の歌なんだろう彼らにしたら、とLIVEで聴いて思った。
聴いてるこっちとしては「お、おう」と、「は、はぁ」と、「はい、とりあえず最後まで聴きます」と。温度差が拭えませんが。語り継がれる名曲では全くない、ない、けれど、このアルバムの中の1曲としては総じて好い。‘立ち止まってしがみついていれば’という歌詞がやっと今回ここへきて好い。

忘れ得ぬ人
いわゆる、老いらくラブソング。好いねぇ。
‘歳を取って自由を捥がれても 忘れ得ぬ人だけが心にいる その日が来るのをどこかで願ってる’
全部書いた、全部言いたい、全部口ずさみたい、ほど、ここは名フレーズ。こんなこと、やっぱり、人生折り返し地点を越えないと書けないよねぇ。

You make me happy
こういうの、やりたいんだろうねぇほんとは、桜井和寿。あ、櫻井和寿
そうこれは、どっちかっていうとap bank band。正直そっちでやってくれよとも思うんだけど、開店休業状態だもんなぁあっちは。そうか、ドサクサ紛れにねじ込んだね?まぁ、まぁ、いいよ、許す。あり。

Jewely
染みます。きっと、かの迷曲「ロザリータ」もこんな感じでやりたかったのか。やっぱり歌詞って大事だ、わたしからすると。夜の蝶、はたまた新宿二丁目あたりのおねえさん方、ぬぐぐぐと唸ってくれるのでは。と、ふざけたけど。せめてこの想いだけは消えてくれるな、汚れてくれるな、そういうのは、夜のお仕事してなくても、誰も愛してなくても、あると思うのです皆。名曲。

REM
きた。これも最初ちょろっと聴いたときは、ちょろっで終わったものなぁ。無理なさんな、わかるけど、中二病といわれまっせ、と。
でもあれよね、中二で何が悪い、と。伊集院は好きだがそもそもこの中二病乱用し過ぎよ皆さん。それが嫌い。てゆうか中二のときのほうがもっと醒めて冷静で大人びてたっつーの。あれだね、サマソニ用。かっこいいからまぁよし。

WALTZ
これ。これよ、長野で初聴した時、「もしかしてミスチル終了の鐘は誤報だったのでは」と思い直すほど、謳い上げた桜井を観て「桜井和寿の真骨頂、ここに復活」を感じたのだった。後ろから「わたしこういう桜井さんが好きなのぉ」と聴こえ、振り返ったら、おば、おねえさんで、やっぱり、愛とか恋とか豊富に降りかかってくるような方ではないと失礼ながらお見受けしました。わたしも同じだよ、おば、おねえさん。こういう世界、わたしも大好きよ。

進化論
ライブでこの曲の前にラマルクとダーウィンの進化論についての説明みたいなのが流れていた。
長野のときは正直その説明、聞いてなかった、それどころではない席だったし。
それに「自分の願いが次の世代のDNAに刻み込まれいくなら、強く願うことだけでもぼくたちは・・・」とか桜井が言い出してからもう意識不明、意味不明だった。
次の世代のこと考える余裕ねーわ、自分のことだけで精一杯だわ、そもそも生殖機能自体が年齢的に停止状態だわ。
おたくみたいに経済的余裕があって、あっちこっちに子孫を作り散らかしてもオールオッケーみたいな人間ばっかじゃないのよ、そもそもよ、じゃあ首の長くなれなかったキリンの立場は?その淘汰された側の立場は?いなくなった側は歌にもならないのか?
あなたラマルク派なら、わたしダーウィン派。ふん。所詮この世は勝ち組のものでさぁね。
とまた、ミスチルファンにあるまじき、当たり屋みたいない言いがかりの想いで、この歌を聴いてた。
けれど、このアルバムの中に入って聴いてみると、少し違う解釈となった。
あえてラマルク説の方であって欲しいと、そうじゃないと、今の自分は無駄生き無駄死にじゃないかと。
そう考えると、一見前向きなこの曲になぜか充満している、えも言われぬ寂しさの意味が伝わってくる。
まぁ歌なんて解釈するものではないけど、考え改めました。名曲です。

幻聴
これも今後LIVE定番曲になって唄い続けて欲しい。なぜなら、タイトルの“幻聴”っていうのがこのアルバムの、だけじゃなく、最近の桜井さんの書く歌を全て物語ってる。気がする。今になってわかる。だいぶ焼きが回ってきたわたしも。

Reflection
ライブのオープニングでかかってた。

遠くへと
素朴でそっけない歌ですが、名曲で、次の曲とこの曲は、あと10年もしたらMr.Childrenはこういう曲が多くなるのだろうかもなぁと思ったり。そのころまでにはこちらももう少し落ち着こう。

I wanna be there
アコースティックギター1本で唄って欲しいどこかで。ショートブーツなんぞ履かずに、ジャラジャラ腕首につけずに、指輪なんかしてコード押さえずに、ぜひとも。

Starting Over
「足音」じゃなくて、こっちでしょ。こっちを前面に押し出してけばよかったのに。そしたらわたしも、いらんやさぐれパワーを発散せずに済んだのに。
‘何かが終わり また何かが始まるんだ’使い古された言葉ではあるけれど、そこは、桜井さんの手にかかれば、ただおめでたい前向きソングなだけはないのです。美しいメロディにもがき願う歌詞が痛々しく清々しく胸に染みます。名曲。

未完
好いよねぇ。しみじみ。「幻聴」「Starting Over」「未完」この3曲がこのアルバム全体に漂う、“はじまり”という想いを牽引するような曲になっているようなきがする。
ともすれば若さ溢れるだけになりそうなお題目も、そうではなくて、半ばやけくそ、半ばひらきなおり、半ばけんか腰、の“はじまり”。そうでもないと、はじめられっか、と。
年寄りが聴くとそういうふうに聴こえるのです。

そういうわけで、Mr.Children桜井和寿、ここに復活。

歌詞カードを大事に持ち歩いて聴いている。こんなこと、「HOME」ぶりじゃないだろうか。
体調にもよるけれど、今は、ちょうどこのアルバムがすっぽりハマッたのかもしれない。
どうかこのままハマり続けてはくれないだろうか。この先どんな体調になろうとも。
病めるときも健やかなるときも、もう、わたしには桜井和寿の歌しかないという、あの頃みたいに。
漠然と、誰かを好きになりたいと、誰かに愛されたいと願ったり、いつかのことを思い出して嘆いたり、何かを憎んでも、何かに心荒ませても、それでも、この歌を口ずさんでさえいれば、なんとか騙し騙しやってけていた、あの頃みたいに。
また、あぁやって生きていたい。