渋谷のハロウィンのランチキを見て、本格的に私は世の中から弾き飛ばされていると痛感した。
もうあとは死ぬだけの人間だ。
最近そういうことが多くて、そこはかとなく、さみしい。
信長協奏曲がひとつも面白くないならまだしも、ごめんね青春さえいまいちだ。
近頃のドラマは・・なんて思っていたのだが、ここでクドカンさえいまいち、ってなると、話が違う。さみしい。
もしかしたら、あちらではなく、こちら側の問題なのではないか。
もしかしたら、昔のクドカンのドラマみたら、もう、ぜんぜん無反応になってしまってるんじゃないか。
確かめるのはやめておくけど、こわいし、さみしいし。
だから、もしかしたら、ミスチルの歌も、桜井の歌詞も、ぜんぜん衰えてなんていないんじゃないだろうか。
それは、あちらが成長しただけで、こちらがいまだ時代がぱったり止まっているだけなんじゃないだろうか。
そうそうそう、ここへきて遅れてきた中二病なのではなかろうか。
全てが、みんな、大人になっていて、置いてけぼりを食らっているのに、ギャーギャー騒いでいるだけなのだろうか。
久しぶりにバンプのメロディーフラッグを聴いて、何度もリピートして、何度も泣いてしまった。
この歌を聴くたびにMr.Childrenの音楽をしがみついて聴いていた自分を思い出す。
たぶんそういう理由で泣いてしまうのだと思うが、よくわからない。
けれどこの藤原基央の声と歌詞は、弱っちぃくせにボロボロのくせに「ぜんぜん大丈夫だから」という空元気にも似た健気さがあって、なんだか、こっちも呆れるを通り越して、泣けてきてしまう。
泣きながら、あぁ、とりあえず、ついて行ってみようかと。
取り残された感たっぷりの人間に優しい歌を。
たとえ時代遅れでも、古臭くても、中二でもいいので、桜井どうか、また歌を。
一週間前、ひさっしぷりに、きつい風邪を引いた。熱で眠れなくて、
ガンと闘病していた父もつらかっただろうなと、風邪といっしょにされてはたまらないだろうが、そんなことを思い出した。
今は咳がまったく止まらず、眠れず、息苦しくて、
死ぬ間際、ベッドの上でのた打ち回るほど苦しがって死んだ父をまた思い出した。
心身ともに、意外と相当弱ってるみたいだわ。