fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

「家族愛」=「   」

「家族愛なんてね、クソですよ」

目が覚めるようなセリフが、テレビから流れてきたので、手を止めたら、それは脚本家の遊川和彦の声だった。

女王の教室」「家政婦のミタ」はまあまあ近年にしたら良かったけど、
恋がしたい恋がしたい恋がしたい」「幸福の王子」には及ばない。

彼の父親は、4人の子供と奥さんと借金を残し、女と蒸発した。
彼は孤独で、常に愛を欲していた。

どうりで、そういう彼の背景が、あの2作品には滲み出ている。

無闇に寂しがりやであったなら、どんなに紛れたかしれないが、そうは生きれず、特定の愛だけを求めてしまう。
そうして、大概、その特定の愛は手に入らない。孤独は一層深みへ。

血の繋がった、生まれてから死ぬまで否が応でも結ばれてしまう「家族」という括りの中で、愛し、愛されることができたなら、それを実感できたなら、どんなにか楽だろうと思う。

素敵とも素晴らしいとも羨ましいとも思わない。
ただ、ラクだろうなと思う。

家族だと無条件に愛せる、なんて、ほんと、クソ気持ち悪い。
自分と同じDNAを愛するなんて、自己愛の極み。
だから、無条件に愛していると言われても、興ざめ。

さっきまで、体中ガンに侵されている父といた。
放射線治療やら抗がん剤やらを拒否して、独自の民間療法で生き延びる彼の、このしぶとく、頑固で、自分を信じ切れるというDNAは、あたしの中には1滴も流れていない、申しわけねぇと毎回思う。
あたしより肌つやがよかったが、とても弱ってヨボヨボ歩いていた。

父と別れて、ひとり帰り道、泣けてきたのはなぜだろう。
彼が死ぬのが悲しい、とは違うし、もちろん会えなくなるのが寂しいなんてあるわけない。
あまり会いたくないとしていたのだ、長年。

ただ、人はいつか必ず死ぬのだなあと。
やりたい放題で、稼いだ金は全部遊びに使って、不動産屋だったのに、結局、持ち家ひとつない。
あんな父親も、死ぬときはやけに弱弱しくなってしまうのだなぁと。
まぁ、ガン患者にしちゃあ相変らず強気ではあるけれど。

だから、あたしのこの健康をくれてやるっつってんじゃん、神よ。
無駄で無価値で非生産的なこの健康を。

そう思っていたら、泣けてきたのである。
彼は思い残すことはないのだろうかと、やり残したことはないのだろうかと、思っていたら、泣けてきたのである。

それでもあたしの悪いところは、明日からは父の分まで1分1秒大切に生きようなんて思えない。
つか、死んだ人の分までとか、代わりにとか、失礼。
その人生はその人が生まれて死ぬまで、たったひとりその人だけのものなのだから。
その人でしかやれなかった人生なのだから。
それが始まって、そして終ったのだから、誰かに引き継いだり、引き継ごうなんて、おこがましい。
その人生が、例えどんなに、取るに足りない人生だったとしても。

なんの話だったか。
あぁ、家族愛のことか。
相変らず今でもこれからも言う。
「ファック」だね。