fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

「himawari」を聴く

ずいぶんとサボってしまった。
好きでサボってたんじゃなくてパソコンがそのあれで。
書き溜めてるからそれ、今度いれとこうここに。気が向いたら。
向くかな。向かせないと。

それでパソコンがやっとあれしたというのと、久しぶりにMr.Childrenのシングルが
何度聴いても泣けて仕方なくなったので名実ともに重くなった腰を上げたしだい。

この曲は東京ドームで聴いてひどく期待していた。

暗がりで咲いてるひまわり 嵐が去ったあとのひだまり
そんな君に僕は恋してた
そんな君を僕は ずっと

ここだけなんとか聴き取れてそりゃもう今日をどれだけ待ちわびたか。

とりあえずDVDも見れてない、himawari以外聴けていない。
1曲リピート。完全にこの歌で立ち止まってしまった。
なぜか、ちょっとおかしな涙が流れて止まらない。
きっとこれは桜井さんが意図してるのとは違う「いいね」を連打しているんではなかろうか。
そもそも私は彼の意図などどこ吹く風でいつも聴いているのだけれど。

ものすごい恋の歌だった。
強烈で激しくて濃くてドロっとした血が流れるような夏にぴったりの暑苦しい恋の歌だった。
どんな恋愛してきたらこんなのかけるんだしかし。

これまでもきっとこれくらいの濃度のこの人の恋とか愛とかの歌を聴いてきた。
その度、あぁ、今している恋はこの歌のこの部分くらいか、とか、あぁ、あの時していた恋はこんな感じのような、とか、あぁ、きっとこの先いつかこんな愛が、とか。
そうやって、この人の愛とか恋の歌を我が人生におけるなけなしの恋愛でもって消化して糧にしてここまできた。
一見日常的な言葉で綴られてるもんだから食べやすくてパクパクパクパクいってしまった24年あまり。
けれど最近ようやく合点がいった。
ないじゃんよぉー、おい桜井よぉー。
こんな愛も恋も、かすりもしなかったじゃんよー、匂いも気配もなかったつー。騙されたわ。
でもまぁ、よし、と。好い歌だったからよし、と。苦笑いしたばかりでございました。

結果、その合点のダメ押しとなってしまったこの歌。
聴けば聴くほど、辛い。酷い。
果たしてこんな恋をしていただろうか。だったろうか、あれとかあれとか今のこれとか。
思いを巡らせても、私の記憶の缶はカラカラと残りカスの音さえしなかった。
いやいや、私にだって「角砂糖」のひとつやふたつあるわよと、蓋を開けても空っぽ。
溶けたというより、一度も、何かが入った形跡がなかった。

ましてや、この先きっと、なんて。もうここは終着点なのだから。
それは間違いないのだ。「諦め」やら「妥協」やらそんな美しいものではなくて。
だからもちろん「邪」でさえない。
私は何をして生きていたんだろうかしら。
何に泣いて笑っていたんだろうかしら。ほらまた泣けてきた。

容赦ない激烈な恋の歌によって、自分が完全に、とおに、干からびていたことを思い知った。
崖から突き落とされた。
見上げた崖に光輝くひまわりが咲いている。
遠く、思い出す24年前、はじめて聴いた曲にあった「真冬のひまわり」。
あれから私は、ずっと。

私のhimawariがあるとするなら、もう、この人の歌しかないかもしれない。
絶句。