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everywhere I'll go

「水曜日の情事」最終回を観た

結婚3年目の30代の夫婦。
男は妻の親友である未亡人の女と、恋に落ち、不倫が始まる。
男は、妻を捨て、不倫相手の元へ。
1年後、妻への想いが拭い去れない男は、元妻とやり直そうとする。
その矢先、不倫相手が涙を滲ませ一緒に生きようと言う。
男は、この女を幸せにしようと決意する。
元妻が見届ける中、男と不倫相手の結婚式。
元妻は、完全な決別の宣誓をして、男に背を向ける。
不倫相手の女は、永遠の愛を誓わないと宣誓し、男に背を向ける。
二人の女は、この男なしで幸せになることを選んだ。
三人は散り散りになった。

ずいぶん乱暴に要約してしまったが、ともかくそういう話だ。
そういう、まったく、男と女ってやれやれやれ、という話だ。
だけど、そう思いながら、馬鹿馬鹿しくなったり、ましてや見る気が失せるなんてことは微塵もない。

女と女の憎しみと友情をごちゃまぜにしながらの戦いや、
男と女の腹の探りあいや、それに巻き込まれる人間たちの悲喜。
怖ろしくて、愚かで、哀しいこのドラマに目が離せなくなる理由は、登場人物の描き方が、実に細やかであることに尽きる。それを演じきった役者の力量もお見事。
こんな恋愛ドラマがゴロゴロしていた頃から8年経ち、こんな恋愛ドラマは皆無となった。

大体、夫婦の問題やら、不倫やら、私の琴線からは遠く離れたアイテムだらけ。
だというのに、こんなに面白いっつってんだから、面白くないわけがないのだ。

ラストシーン。
3年後、同窓会と称して、太陽の下、笑い合う3人。
元妻にも、不倫相手にも、それぞれ子供と夫がいた。
今度は笑顔で散り散りになる三人。
男はひとり。
ふと携帯が鳴る。
「もしもし?さっきはどうも。子供かわいいじゃん。・・・え?今から二人で?・・・じゃあ水曜日の夜に、あのバーで」と電話を切る。
男は懲りない笑みで歩き出す。

そこでドラマは終わる。

このドラマを初めて見た頃、私はまだ20代だった。
「何?この終わり。どっちよ。電話かけてきたのは元妻?不倫相手?どっちよ?あのバーって二人ともと行ってんじゃん!あーはっきりしないったら!」
と最終回だけは不服に終わったのだった。

ラスト、歩き出した男の不敵な笑みの下にクレジットが入っていた。
「男と女には、まだ50年ある」

20代の私はこの大事なキモのクレジットを見落としていた。
目には入っていただろうが、記憶にも留めなかった。
主人公たちの年齢を優に超えた年齢に改めてみてよかったと思った瞬間である。
どちらの女からの電話?、なんて、どうでもいいことだった。
このドラマのラストのおもしろさはそんなちゃちなところではなかった。

恋愛ドラマは男と女がいる限り、永遠と描き続けることができる。

けれどそこに、登場人物たちに注がれる作者自身の愛情や思い入れが感じられなければ、視聴者はただの傍観者となる。それはただの野次馬と同じで、少し見てればすぐ飽きてしまう。恋愛ドラマこそ名脚本家が必要なんだと感じた。

返す返すも野沢尚の死が惜しい。
この只中にいたら、彼はどんな恋愛ドラマを書いていたんだろう。