fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

やさしくなりたくない

家政婦のミタ」で泣けるのは、父親がどうしようもないところだ。

本当は子供なんてほしくなかった、デキ婚だった、家でホッとできるのはトイレと車の中だけだった、子供たちの前で話すとき話すぞと思わないと言葉がでてこない、子供たちにすべてを見透かされているような気がする、お父さん大好きと言われて顔がひきつる、家族を愛しているだとか命をかけて子供を守るだとか思えない、どうしていいかわからない、うんぬんかんぬん。

だから、俺は、不倫したんだ、と。

どうしようもない。吹いてしまうくらい、あほだ。
じゃあなんで子供つくったんだよ、最低だ、自分勝手だ、子供が子供をつくっちゃったんだね、と、昨今の絆ブームの中じゃあ、みなさん非難轟々だろう。

泣けるのは、あぁこういう人が、こういう台詞が、この最中、テレビに登場していることに、安堵して、共感して、嬉しいような、改めて情けなくて、絶望的に泣けるのだ。

わかるの、子供いたことないけど、絶対そうなの、私もきっと。
今のオトコの子供と一緒にいなきゃいけなかった時、まさにそうだったの。
自分の子供なら、きっと、なんて、絶対思えないもの。

このドラマに出てくる父親も、自分の子供ができれば父親らしくなるかと思ったらそうでもなかったんだと、往生際の悪いことを言ってたもの。

さらに今日は、すばらしい場面があった。

不倫相手と一緒になるからと、妻に離婚届を渡したら、ショックで妻が自殺したってことを、後になって知った子供たち。怒りまくって家を出る。そらそうだ。

しかし、救世主現る。
末っ子がお父さんを許してあげてと、仲直りしてと、じゃないと死ぬから、と、あたしはお父さんをこんなに愛してるんだと、全身全霊で、まさに命がけで、延々、のたまう。

絆プロジェクトの皆さんはここ、号泣だろう。
けれど正直あの場面は、うざいを通り越して、子供ってそら恐ろしいと思ってしまった。

私はてっきり「あーこれでほだされるか、これで父親になっちゃうのか、同士よ」と興ざめだった。
そうして最後にモンスターがいたいけな目で止めを刺す。
「お父さんは私のこと好き?」
父親は怯えたように精魂疲れ果てて搾り出す。
「・・・わからないんだ」

ぶっ。
笑ってしまった。
あほや、こいつ。父親失格以前に空気読めなさ過ぎの大人失格。
あぁ情い、と、笑ってしまうほど、泣けた。

もちろんこのドラマが最終回を迎える頃には、この父親、昨今の家族LOVEと声高に叫ぶ父親なんかよりも、ずっとたくましい父親になるんだろうけどね。だってドラマだからね。そこは仕方ないよね。

自分に何が欠落しているか。
うすらぼんやり、成人のころ、感づき始めていた。いや、もっと前かも。
それは色濃くなり、そうして人生が半分もいかないうちに確信となる。

大学が終わるころ。
あぁ、働く人になるんだ、会社に入るんだ、え、志望動機?知らないよ、だって働けって言われてるから、えー、どうしよう、社会人なんかなれない気がするんだけどー、と、オロオロジタバタしていた私に教えてやりたい。そもそも、なれるわけがなかったんだよね、と。

同時にその頃から子供が秘かに苦手だった。

子供ができない体にしてくれたことが、私に与えられた唯一の神さまからのギフトなのかもしれないと思う。

子供なんていなくて、心から、心の底から、ほんとうに良かったです。
このドラマのおかげで、幾分、救われた気がします。

不倫がらみの映画やドラマや本やゴシップやニュースを見聞きすると最近思う。
妻や子供を捨ててまで、相手が愛してくれるなんて、それだけ愛されるなんて、羨ましいこの上ない。
家族さえ大事にできない男なんて、いつかきっと同じように捨てられるよ、って絆メンバーの声がしそうだけれど。

いつか捨てられる、捨てられないの話ではなくて、
今、唯一無二で愛されてるか、否か。それだけが私にとっての肝なのだ。

プロジェクト組めちゃうほどいらない。
私は1本ほしかっただけ。いつもずっとそれだけだった。