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everywhere I'll go

哲学的ラジオ

 視覚的な人間のその人物把握と聴覚的な人間把握の脳みそにおける影響力の差

ねみーし。
明日は歯医者だもんで、早起きだのに。
ねりゃーいんだけど、忘れてた今日、キャンナイじゃねーか。
無理な気がする。
録画するほどでもないと思っていたが、オードリー以外、ほんっとどうでもいい内容だから、こういうものこそ録画だと思うので、録画することにする。

さて、本日から、ラジオはラジオで毎週聴いているよ!と言い切ることにしました。誰がなんと言おうと、言い張ることにしました。

やったこともねーこといろいろいろいろやりましたが、結果、竹山ゲストの回からなら何度でも聴けるという、鋼のおれに生まれ変わったぞ。これでもう、圧力という名の消しゴムマシーンにはびくともしねーのだ。

世の中にはコエぇ人もいるけれども、親切な人もたくさんいるのだね。

なんのこっちゃわからんだろうけれども、ともかく、この先、ぐったり疲れて、ミスチルもなんも耳に入ってこないくらいに困憊したら、これを何度でも聴けゃーいいんだ。笑えゃーいいんだ。

今回はクソおもしろかったなぁ。

おで、森久美子、だいっっっきらいなの。だったの。
生理的にうけつけないっつーか、ともかくテレビ画面に登場したら即消してたから。
それがどうよ。
ラジオじゃおもしろいったらないのよ、このおばちゃん。
のびのび幸せな日々を送っているオーラの声、こっちまで「なんか今日いいことあったかもしれない、自分気づいてないだけかも」、なんて錯覚しそうになったほど。こんな人が奥さんだったら毎日楽しかろうよ。

人間は見た目じゃないって、あれは、こと女にあてて言うなら、99パー嘘なんだけど、
今日は残りの1%に大きな可能性を感じたね。奇跡だ。

そしてその奇跡を起こしたのは、春日の偏った女性の趣味趣向が発端なわけだから、憧れるよ、普通じゃない人っていうのは。

見た目で植えつけられたイメージを払拭するのはなかなか困難ではあるけれど、それを声ひとつで可能しにた、高らかな森久美子の笑い声が脳みそに今も高らかに響き渡ります。

ということを、若林は言いたかったんじゃねーかと。