fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

メメント・モった日

○会社の昼飯時間は自席でおにぎり一個を10分で食べ終えて、歯みがきしたら、ウォークマン聴きつつ、デスクに突っ伏して寝てるといったら妹から軽蔑された。「やだぁ、あんたそれうつ病だよぉ、こわ~っ」と言われた。あぁそういえば、昔、会社で毎昼寝るオタクみたいなやつがいて気持ち悪いと思ったかもしれないけど、もうそっちの人になったみたいであまり思い出せない。会社で鬱って何がいけない。会社で鬱らないで、いつ鬱るんだ。

○週末、映画のために銀座に何年かぶりに行かねばならなくて、ならばH&Mでも冷やかしてみようと行ったらもう入場規制とかいうことにはなってなかった。全国民ほぼ一周したのかな。でもゾロゾロゾロと人が吸い込まれていて、なんだかディズニーランドの入り口みたいだった。しっかしびっくりするほど地味な服ばかりだった。ユニクロと何が違うのか。いやむしろユニクロのほうがこの値段じゃ安いなぁ、買わないけどねっていうのが1着くらいあった。みなさんH&Mの何を騒いでいるのかしら。NYだとコンビニ状態で乱立しているそうな。ついでにZARAも見てみたが、縫製の酷さは目に余る。あんなのに金を払わせるなんて。どの店にも、私と同じくらいの女がウジャジャジャいた。みんな後ろ姿は少しデカイおねーちゃんだけど、前から見ると、おばちゃん真っ只中で笑えた。とはいえ、この、若さ賛美主義、見た目至上主義の世界から戦線離脱した私は、誰より小汚い、中年だった。

○「生きてることがつらいならいっそ小さく死ねばいい」と言う歌を紅白で聴いていた母親が「なんなのこの歌!こんな歌テレビでやっていいの?」と憤慨していた。彼女が至極まともな人間だと知り驚いた。なんだかそういえば騒がれてたなこの歌。別にだが。どうせ森山が作詞家と「こんな歌詞から始まったら話題になる」と目論見ながら作ったんだろうし、ともかく私は森山の歌が嫌いだ。無駄に、せつながりたがり、悲しがりたがり。大げさだ。森山良子の息子のくせに、哀愁なんて知らねーだろ。宇多田も同。けれどしかし、今日、会社のトイレで、半年以上も美容院に行かない、ぼさぼさ枝毛切れ毛で絡まりまくる白髪だらけのスーパーロングな姿を見て、あー私は小さく死んだんだな、これが、そうなんだなと、あの歌を思い出した。

○小学校の給食係以来ぶりくらいにマスクをして、出勤してみた。もう駅に着く前に息切れが始まり、電車の中では酸欠状態でフラフラ。視界は悪く、なんども階段で蹴躓きそうになった。それでも会社でもつけっ放しにして頑張っていたら、自分の息の臭いは腐った魚だったと知り愕然とした。歯磨きはちゃんとしているので、そういう臭いではなく、胃の中が、体の中が、腐敗している臭い。全身の何パーセントが腐ってるんだろう。そういうわけで、マスクをすると心身ともに具合が悪くなるということが今日の実験で判明。明日もしていこう。ファンデーションを塗らなくて済むというメリットも判明したから。とうとう、会社にすっぴん。このまま行けるところまで行ってしまうのかな。

銀色夏生が「エイプリル」という新刊を去年出していたのを昨日知り、今日買った。最近の彼女は、なんたら日記だとか、エッセイだとか、ブログ本みたいなのばっかり出して(1ミリも読んだことはないが)、才能の萎み具合が著しい。けれど、ちょぼちょぼとだけれど、こうやって詩集を出しているから、才能が底をついたわけではないようだ。仕方ない。彼女の本を知ったのは、もう20年以上も前だ。よくやってる方だ。いつか才能は果てる。水は渇き、熱は冷める。

○キヨシさんからメールが来た。なんのこっちゃと。まぁこれは後で私が読んでわかればいい備忘録ブログだから、いいんだ。要は、彼女から普通にメールが来たということは、恋が完全に消滅したということだ。あの男の中で、私は「面倒くさい」にカテゴライズされたということだ。「あの時あぁすればあぁなったかもしれない」とか「この先もし会えたらこうすればこうなるかもしれない」という後悔も期待も、全て、消えた。不思議と、何も感じない。1駅ぐらい悲しかったが。あんな男、ろくなやつじゃなかったよきっと、と毎度こうなる。私は一体何様のつもりなのか、自分のことを好いてくれないとわかると、即効どうでもよくなる。しょーもな。

私はあとどれくらい生きるんだろう。どうやって死んでゆくんだろう。