酒を飲むことにした。
仕事が決まりそうだから?まさか。
「ダークナイト」を観たからだ。
この世は不条理だ、この世は皮肉だ、この世は悪だ、この世は暗闇だ。
アルコールを入れずにはいられない。
亡きヒース・レジャー演じるジョーカー。
あらゆる人間の悪意と憎しみの塊で作られたような生き物。
彼の行動に、意味はない。
信念も、欲望も、復讐心も、ましてや同情心を煽りたいわけでも、何でもない。
ただただ彼は、悪で遊び続ける。
その楽しむ様が、延々、2時間半以上も垂れ流される。
クリスチャン・ベール演じるバットマン。
この役者、当初あまり好きではなかった。
「アメリカン・サイコ」「マシニスト」。
多大なる期待を寄せた映画がいまいちだったからだ。
しかし、どうだろう、今回は。
ともすればジョーカーに食われそうなバットマンをみごとに演じている。
その戦う姿は、悲しみに満ちている。
バットマンでいる時も、でない時も、彼ゆえに抱える苦しみが消えることはなかった。
そしてゴードン。ただ悪の芽を摘むために任務を遂行していく警部補。
突出した役ではない。むしろありふれた役どころだ。
けれど何か説得力のある演技だ。誰だろうこの役者は。
と、エンドロールでゲイリー・オールドマンと知る。
知った今でも、この俳優とこの役が全く結びつかぬほどの名演だ。
そして「光の騎士」と象徴される検事。
第二のバットマンとまで称されたこの男が、やがて、第二の―。
この検事の様こそが、この物語の核を代弁しているような気がした。
バットマン?はぁ?興味なし。あるわけない。アメコミヒーロ映画なんて観るわけない。
でもクリストファー・ノーラン。
今でこそあの手の映画は山とあり食傷気味だが、「メメント」はまさにその先駆け。
衝撃的だった。
それに全米で「タイタニック」に次ぐヒットだという。それに今日は水曜日。
以上の理由で、滑り込み鑑賞。
まず「ヒーロ映画」って、もうのっけから誤った知識だった。
善と悪が対立し、最後はもちろん善が勝つ。
そういうありきたりの英雄物語に沿っているといえば、そうだろう。
しかしこの映画の後味はありきたりのそれとはまるで違う。
善も悪も、互いが存在するためにある。
善が大きくなれば、悪もそれと共に大きくなる。
なくてはならない無二の存在となっている。
クライマックス近くに救いのシーンがある。
そういう世の中でも、やはり、人の根元は善である、と。
しかし延々、ジョーカーの遊びを見せられた私にはもう信じられなくなっていた。
人の根元は悪に違いないのだと。
そう話が転ぶことをどこかで期待していたことこそ、ジョーカーの闇に引き込まれていた。
ジョーカーは常に‘スマイル’だ。
滑稽で、チャーミングとさえ感じるほどの、ジョークに満ち、コミカルだ。
ニヤリとしてしまうシーンがたくさんある。
けれど、笑いで口が歪みそうになると同時に、吐き気がした。
笑ってはいけない。笑ってはいけない。
こいつは悪なのだからと。
エンドロールはジョーカーのテーマともいうべき不快なBGMが流れて終わる。
ジョーカーの言葉が蘇る。
「なぜ笑わない?」
もしかしたら監督は、ただこれを言いたかっただけなのかもしれない。