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everywhere I'll go

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を観た

この備忘録の当初の目的は、良い映画を見た後、書き残したかったからだった。

その昔、パンフを買っていたが、1冊700円超もする割には、後で読み返すことはおろか、買っただけで満足してしまい、読みきったことさえないかもしれぬとハタと気づく。
引越しの度、山積みになって重たいだけのパンフを前に途方に暮れる。「買う必要あったのだろうか、このシロモノ」。
ペーパレス時代到来に伴い、どこかへ残しておきたいという乙女心を満たすためのブログでもあったのだ。

が、書き残したいほどの映画にこのところお目にかからなかった。

が、。

911で父親を失った息子の再生物語」
このひとことで片付けてしまうのが口惜しいほど、清々しさの余韻に浸れる、昨今稀に見る好い映画だ。
エンドロールの間、素直に、あぁ好い映画だったなぁと、しみじみと噛み締めていた。
久しぶりのこの感触。少し前、私にとって好い映画は、こんな後味の映画のほうが多かったはずだ。
けれどここ最近では、しみじみ、というより、胸に衝撃がグサリと、あるいは、チクリと残る、そういう映画を好いということが多くなってしまっていた。
加齢のせいと言いたくないの。言わないの。

映画を観る前にほとんどの情報から耳をふさぐため、今回も、出演者と監督の情報だけ。
監督、リトルダンサーと愛をよむ人、いい予感。
トムハンクス、なんとなくいい予感。
サンドラブロック、なんとなく安っぽい予感。
子役、あぁあぁ、子役。
あのスコセッシさえも、スコセッシおじいちゃんと化し、子供+動物+3Dという、あんたがそれを撮る必要あるんかぁ?というこのご時勢。
日本もアメリカも子供は必須アイテムでんな。

ともかく、期待値もそこそこ。
ところがところが。

まず、まさかのトムハンクスが前半あっけなく死ぬ。
しかし、いたずらっぽく謎めいた父親が死後も尚、息子や妻の心に深く刻み込まれているという設定は、トムハンクスの持つ存在感がその説得力増していた。

もうひとつ、知らなかった設定は、息子があすぺるがーだということ。
よく知らないが、ようは、ちえおくれだ。

きたー、ちえおくれ、しょーがいじ。
あたしの鬼門。

何もちえおくれ的な人物が登場する映画を闇雲に嫌ったりしているわけではない。
ギルバートグレイプやスリングブレイドは名作である。
それを、振りかざすような、免罪符とするような、ダンサーインザダークみたいなのが嫌いなのである。
というか、あの男のあのハッタツチタイ息子が大嫌いで恐ろしいのである。

逸れた。

この映画は、息子がしょうがいじであるという設定はさして大きなことではない。
そもそも911という設定も、物語を紡ぐひとつのツールでしかない。

しょうがいじが大きなことではないにしろ、この設定が功を奏しているのは、そのしょうがいのおかげで、彼が、子供でも大人でもなく、生まれてきたから生きるしかないのだと、時には、自分の置かれた状況を俯瞰し、冷めた人物像で描かれているところである。

どんなに感情的になったように見えても、常軌を逸した行動のように見えても、それは、あくまでこちら側から見た勝手な想い。いわゆる同情。
当の本人は、このどうしようもない気持ちをどうか一緒に分かち合ってくださいと媚びたりしない。常に孤独で、脆く、鋭い。

だから、911が何故起きたのか、とか、911ばかりを象徴してアメリカ人悲しんでんじゃねーよ、とか、神は何人いるのかとか、そういう政治も人種も宗教も、彼にとってはどうでもいいことなのである。

彼が知りたかったのは、
大好きな父が確かに生きていたこと。
その大好きな父の息子は自分だったこと。
そして、その大好きな父が死んでしまったこと。
そのひとつひとつに、どういう意味があったのかということ。

父親が残した最後の謎。小さな鍵。
確かに手にとって触れることのできる唯一の父親とのつながり。
この謎さえ解ければ。

悲しくも健気な彼の冒険が、時にはユーモアさえ織り込み、ワクワクとしながら観てしまうのは、彼の飄々とした、そしてお世辞にも「良い子」とは言えない言動にあるのかもしれない。

震災に遭った東北の小学生がインタビューで「これからは心をひとつにして」「すこしでも早くこの町が復興できるように」と、まるで、大人が喜ぶ子役名セリフ百選に載ってそうなコメントを発するたび、違和感を通り越して気持ち悪かったものだ。

少年を見事に演じたこの役者が、素晴らしい。
母親サンドラブロックも非常に心憎い存在である。

父の残した謎が明かされた時、その扉が開かれた時、彼が奥底にしまい込んでいた本当の深い闇が一気に噴出す。
同時に、その闇の先にあった、本当の眩しい光が解き放たれる。

輝きに満ちたラストカットは、思い出しただけでも暖かく爽やかな涙が溢れてしまう。

世間が、日本中が、世界中が、一緒に同情してくれるような、そんな歴史的喪失感を味わったことがなくとも、誰にでも、ちっぽけなこの私にさえ、この作品は優しかった。

好い映画です。