帰りの電車。ある駅で、目の前の席にガキが座ってきた。
ガキは大騒ぎ放題で、隣の母親は笑っていた。
電車は空いていて、静かだったのに、一変、
イヤホンからの桜井さんの声がかき消されるほどの、騒音だった。
私は、相当な顔でガンとばして舌打ちして、席を移動した。
途端、ガキは静かになっていた。
日本が銃社会だったらよかったのにとも思ったし、
日本が銃社会じゃなくてよかったとも思った。
ガキが来る直前、メールが送られてきたのだ。
前の会社の人たちから、どうでもいい内容だったが、あの人の話題もあったけど、
それもどうでもいい内容だった。
ただあの人の名前がその文章にあって、送り主たちはその人のことを私が好きだったということを知っていて、まさかまだ忘れられないでいるとは露にも思ってないみたいで、その人たちの中には、私を無視した人がいて、その人があの人とこういう会話をしたという内容もあって、総じて、やっぱりどうでもいいメールだった。
そこで丁度、ガキ。だから銃。
人目もはばからず騒ぐ親子を「愛し合ってる」なんて、
どこかの桜井さんみたいにはとても思えない。
過去の人たちから、過去の人についての、彼らの中でもとおに過去になっている私に送りつけられた、どうでもいいメール。
未来が僕らを呼んでる
その声は今 君にも聞こえていますか?
桜井さんの歌詞が若返ったのは若いファン層獲得の為だと誰かが言った。
ひどい話だ。
でもそう言われてみれば、そうだ。
こんな年齢の人間に、未来の声など、残っていない。
でも私は、桜井さんの唄う、希望や未来や幸福にすがりつく。
パっと一瞬煌めいては消え、残像が離れない、彼の美しい言葉に。
期待したことなど何ひとつ起きなかったな
夏、だった、きっと。あれは、あの頃はずっと、夏にいた。たしか2月の途中までは。
終わるのも、終わった後も予想通りだけれど、それでも、終わったら悲しい。
だって、とても好きだったから。たぶん、まだ会いたいから。
希望と絶望の歌を繰り返し交互に聴いている。
この2曲のせいで私の残暑はいつまでも終わりそうにない。
さっきのガキが大声で泣き出したのが微かに聞こえてきた。
私は俯いて寝ているふりをしながら泣いた。