fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

fantasy

これが、まぁ、いい。いいですよ。かなりいいですよ。
HANABI以来だわ、こんな、頭の中リピートし続けているのは。
仕事が13:30に終わってしまって、あと3時間何をしてればいいんだ、そんなときにはこの歌の歌詞をエクセルにパチパチ。飽きたら、裏紙にシャーペンで書き書き。こうなると写経の域です。

アルバムでもLIVEでもこれは1曲目。
その意味がよくわかる。

このアルバムは、正直、きっと、やっかみも込めて、「そこの若ぇの」、向けなんだろうなと感じる。
こんな初老期の入り口が目の前に見えているような、哀しいかな、桜井和寿と同年代の人間はターゲット外なのかなと感じる。
このアルバムに始まったことではないが最近は。
仕方がない。あちらも商売だ。

20年近くも聴いて、やっぱ同年代だからねー、とか、わかるわぁ、とかなんて、ニヤついて聴いてたら、当のご本人は、わたしらを置いて、遥か彼方へ。
それでもね、このように、しがみついて、へばりついて聴いていれば、いつか、もう一度手が届くものなのね。
届いたのか、無理くり引き寄せたかはさておき、わたしとしては、なんというか、嬉しい。

そして手が届くことができたのは、この歌があったからではないかと思う。
「これから聴こえてくる音は、言葉は、全てファンタジーです、あしからず」
という、前口上。
嘘でもハッタリでも本当でも優しさでもない。あくまで、ファンタジー

きっとこの人が作る歌は最初からそうだったのかもしれない。
いけないいけない、わたしはうっかり、人生と音楽を一緒くたにしていた。
あくまで音楽は添え物。無理に我がの現実を歌に透かして、はまらないじゃん、はまってたのに、はまらなくなったじゃん、と、どっちの調整が悪いのかと頭悩まし、落ち込み、やさぐれることも、悪態つくこともない。

音楽は「日常のファンタジー」。
若い人にはそれはきっと明日への糧。老いた人にはそれは昨日までの慰め。1日1日をなんとかやりきるために飲む鎮痛剤。

だから何度もアルバムをループして、何度も同じようなことをここに書き残し、何度も「ファンタジー」の輪郭を上からなぞって、消えないように消えないでくれと、口ずさむ。