震えそうな夜に 声をひそめ君と 指切りしたあの約束
忘れてやしないよ 心配しないで 君だけを見ている
なんとなくどことなく陳腐なラブソングだと思って聴いていた。
まままぁ、良い歌だ、好い男だ、羨ましい女だと、聴いていた。
常に、ZOO KEEPERの園長よろしく、ふーん、へー、ほー、と他人事だった。
今日聴いたら、がっくり泣いた。
もちろん、他人事なのはひとつも変わらない。
変わったのは、こんなことを言われる人間が世間にはたくさんいて、
こんなことを誰かに言っている人間が同じ数だけいて、
そういう人が圧倒的大多数で、自分はその対極の少数派にカウントされてたと気づいたこと。
望むと望まざると、誰かにこう思われている人がいて、
一時的だろうと未来永劫だろうと、誰かをこう思っている人がいて、
けれど私はこれまでもこれからも、そのどちらにも属さないということ。
そのことを、特に寂しいとも空しいとも思っていないこと。
当前のことだと受け入れる態勢をいつのまにかがっつし整えてしまっていたこと。
今日見た「相棒」は泣けた。
ある男を自殺に追いやった人間たちに復讐しようと、罪を重ねたひとりの女性。
彼女が最後まで容疑者から外されていたのは、彼とはただの顔見知りという間柄だったから。
けれど彼女は、彼と毎朝交わす朝の挨拶だけが生きがいだった。
彼の教えてくれたたったひとつの歌をいつも口ずさみ、
彼と撮ったたった一枚の写真をずっと大切にしていた。
弁当屋の彼女は彼が死んだ後も彼の家に弁当を届け続けた。
「彼は死んでいない」と。
「世紀末の詩」で、
愛する者と二人で無人島に流された時、相手が先に死んだらどうするか、というのがあった。
後を追って死ぬことも、相手の思い出を胸に生きてゆくというのも愛ではなく、
本当の愛とは、その人の死を認めないということだ、というような台詞があった。
人から愛されないのは、人をちゃんと愛していないからだ、愛されることばかりを望んでいるからだ。
という言葉を愛にまみれた人が言っているのをよくきく。
たった一人の人を愛し、愛されたかった、ただそれだけでした。