fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

リツイート、ツイート、フォロワー、ブロック、リプ・・・云々かんぬん

有吉さんちのミザリーちゃん、このごろ少ぉし・・・
否、
ずーっとだいーぶ変よー、どうしたのっかっな?

もっと唄えば、ミザリーさんちの有吉くん、だ、もはや。

彼女は、気づいているのだろうか。
もう無二の存在であることを。

数多いるであろう、有吉をそういう意味で好きな一般人。
そういう、というのは、
有吉を道で見かければ「あ!アリヨシ!」ではなく「キャぁーーー」という人。
有吉が微笑めば「なんか胡散臭い」ではなく「なんか天使みたい」という人。

その中で、あだ名を付けられた人、何人いるだろう。
いや、有吉に生存確認さえされていないのが99%で、ミザリーは、その1%にのし上がったのだ。
しかも、Twitterというツールひとつでもって。

たとえば、有吉が死んで、「知ってるつもり」で特集するとき、「ヒッチハイク」「どん底」「復活」「毒舌」「あだ名」という単語の中に、必ず出てくるさ、「ミザリー」という呼称も。

おそらくミザリーには友達はいないけど、でも、もう、親にだって、通行人にだって、石ころにだって、無視されて一向に構わない。
たった一人愛するあの人が、自分を地球上で確認してくれた。
それだけで、彼女の存在意味は十分すぎるのだから。

ジョンレノンの年表の、その最後に登場する人物は、ヨーコでもポールでもなく、彼のビッグファン「マークチャップマン」だ。

若い頃、好きだった乙女な詩集に、
「あなたの恋人になれないのなら、せめてあなたに、あなたになりたい」
というのがあったが、
「あなたの生涯を終らせる人になりたい」の方が、相手の中により印象を残せる。
外見だけで勝負できないと自覚した女が、恋や愛でせめて爪あと残したいと思い至ったなら、乙女ってる場合ではない。

子供が生まれた時にとりあげてくれた助産師さんの名前より、殺した犯人の名前を一生忘れないのと同じように。

やりすぎはよくないわ、と言うが、どうせ、ほどほどにしたところで、そこそこ以下の結果しか見通せないのなら、度も、あの線もこの線も、常識も法も、なんもかも超えて、ただひとり、あの人の生涯にピンポイントで関わる。

理想の愛情表現。
どんどん昇華していくミザリー師匠。

にしても、Twitter自体の存在意味を、つか、やり方が、そもそも読み方が、私の理解力を遥かに超えていて、たとえ短文であっても、難解。
古今和歌集より孔子より、読むの疲れます。