fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

無責任でいいなラララ

さっき堂本兄弟という最高につまらない番組で秦基博が「名もなき詩」をカバーしていた。
この人、好い声。
一度テレビ収録で生唄を聴いたことがあるがそん時も完全に気持ちが持ってかれてしまった。
桜井の歌を誰かが唄っているのはアマプロ問わず大変不快なものなのだが、彼のは違った。
彼自身の中でオリジナルのボーカルスタイルというものが確立しているからだと思う。

こういうのをカヴァーというのであって、昨今横行する、売れた歌をリサイクルとか、昔好きだったからカラオケのノリで、あるいはモノマネで、とかもう、冒涜でしかない。
まぁ、そんな好い歌は好い歌手のカヴァーアルバムには入らないものだから上手くできてる。

フジファブリックのボーカルが死んだ。
というニュースを去年訊いて多少なりとも驚いた。
まずボーカルが死んじゃったらバンドはどうなるんだということ。
とても若いということ。
それから少し前、私の大好きなブロガーが大好きだったからというのもある。
彼女は今行方不明だが、どうしているだろう。
そのコが好きだったから、ユウチュウブの動画をランダムに再生するくらいで、「フジファブリック聴いた事あるよ」なんてとても言えない程度の認知度だった。

民生のMステを見損なって、やってもーたなーと何とはなしに、奥田民生で検索をかけようとしたら、「奥田民生 茜色の夕日」と候補があがって、なんだ新曲か?と、それでヒットした動画を再生した。

泣いてしまった。
だって民生が泣いていたから。

あの民生が。民生って泣くのか、公衆の面前で。
西川くんが脱退してバンドが立ち行かなくなったときも寂しげだったけど泣いてはいなかった。
とうとうバンドが解散するときもライブもせずにラジオで「死ぬわけじゃないんだから」と一言残して終わらせた。
時が過ぎて、こっちも大人になってわかったのは、あの時解散のライブをやらなかったのはきっと泣く人を見たらつられてしまうほど泣き虫だったのかもしれないし、そもそもああいう歌詞を書く人だから、人一倍照れ屋で別れが苦手だったんじゃないかな、とは思った。

でも、ここへきて、民生泣くの巻き、を体験するとは。

ちょっと調べたら、動画は去年の年末カウントダウンジャパンのライブの音源だった。
ひとり股旅スタイルの最後で民生はフジファブリックのこの歌を唄い出したのだそう。
もう少し調べたら、フジファブリックの志村くんという人は、民生信者だった。驚いた。
彼はユニコーンの名曲「開店休業」をカヴァーもしていた。
もっと調べたら、志村くんが死んでしまう何日か前に民生は酒を酌み交わしていた。

そういうことを加味して動画を聴くとさらに泣けてしまった。

フジファブリックの名曲をいろんな人がアップしてくれているので、とりあえず歌詞を追いながら聴いてみた。
声は特に高音になると民生にそっくりだったし、素っ気ないのに人恋しそうな唄い方も、民生が好きだったんだなぁということがよくわかる。
けれど、楽曲、歌詞、歌唱力、共に、正直今現在の民生を疾うに超えていて、ちょうど民生がソロになってものすごく好かった頃を彷彿とさせる。
浮雲」で「海猫」、「NAGISAにて」で「恋のかけら」、とまぁ勝手に連想してしまった。
哀愁、侘しさ、ぽつねん、薄情で温かい、いいとこドリをしつつ民生と大きく違うのは、より内省的で、疾走感に溢れている。

どちらが好い悪いということでは全くないし、ましてや民生のパクリなんてこれっぽっちも思わない。
これこそ真のリスペクトではないかと感心するばかりだ。
だからこそ民生も嬉しかったのだと思う。
ただ楽しいからやっていただけの自分の音楽を聴いた若者が、こんな音楽を奏でていることが嬉しくて仕方なかったのだと思う。
人見知りが過ぎてか、酒を飲まないと人と喋れない、ともすればMCもできないほどアル中気味のおっさんに、子供のような、弟のような、子分のような、志村くんという存在が眩しく羨ましくて、本当に嬉しかったんだと思う。
だから泣いてしまったのだろう。
一緒にやりたかったこともできないまま、言いたかったことも伝え切れないまま、突然会えなくなってしまって、悔しくて、悔しくて、声にならないほど。

大好きだったミュージシャンが、自分の歌を唄って泣いた。
こんな本望なことはないはずなのに、冥利に尽きることはないはずなのに、志村くんはそれも知らないまま。
希望的観測で言えば、どこかで聴いていたに違いない、けれど。

民生が泣くということは本当に驚きだった。
彼を泣かせた理由が知りたくてフジファブリックに今さら手をつけて、
今さら死んでしまったことが残念だったと思う。
ライブ、行ってみたかった。

ファンではないから言うけど、どうして死んだかを追求するのは、もういいような気がする。
好い歌が残された。
彼はもういなくなって、再びの生唄も新曲もなくなって、
好い歌が残された。