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everywhere I'll go

パナスタ「LOVE ALL SERVE ALL STADIUM LIVE 」2022.10.16

この先もう二度と藤井風の歌が聴けなくなっても構わない。

ライブの感想はこの一言に尽きる。

最近はスマホも高性能だし、今は観客が声を出してはいけない縛りになっているから、録音したらよかったかもなぁと思ったりもするんだが、きっと私は聴き返すことはない。どうせブルーレイ出るでしょうし、記録として残すなら、そっちの方が出来がいい。

何を聴き返しても見返しても、あの時のあの感動は同じように味わうことはない。あの時あれだけ感動したって事実だけは鮮明に記憶に残っているから、それをここに書き記す。

混雑した新幹線のぞみ藤井風号は、テンション高めの、酒焼けしたおばさんのガラガラ声と、若い女のキンキン声が入り混じって、カオスというより地獄絵図。間違って乗ってきちゃったノートパソコンを見つめるサラリーマンがサムライに見えたものだった。

ついた先の大阪は暑くて。晩夏でさえない。真夏。晴れ過ぎ。
ったく、駅からアクセスも悪いし、なんでこんな辺鄙なとこでやんねん。
あぁそうか、岡山近いからか。なんやねん。里帰りのついでかい。

会場回りは、なんかあれです、フードなんたらとか言って藤井風プロデュースのビーガン屋台とか出ちゃって、なにやら宗教染みた国旗的なものぶっささってたりして、まつり、なんでしょうが、まぁ正直そういうのは ap bank fes で食傷気味だったので、スルーです。グッズもスルー。ねまきに4000円もだせない。つかパンフレットなんで出さないねん。

しかも想像していたスタジアムが最近おじゃました日産だったせいで「しょっぼっ」て席に座った瞬間思ったものでした。

とま、ブーブーよ。
どうしてだかわかります?
前回のalone at homeの弾き語りライブの茶番で、出鼻くじかれてるからよ。

たとえ、このライブが散々でも、美味しいフレンチ食べたし、美味しいパン屋も見つけたし、でぇじょーぶ。大阪観光のついでさよ、と、ありったけの、引けるだけのすべての予防線をひいて、挑んだわけです。

そして「何なんw」で登場した藤井風は、カリスマを超えてもはやホトケ。オーラではなく、後光。
けれど、歌ではなく、お経、とはならず、あくまでそこにあったのは素晴らしい音楽家の声と歌。

2時間、圧倒されたまま、ふっと、ロウソクの火が突然ふっと吹き消されるように、終演した。

降伏な、幸福な気持ちで会場の外へ、現実へ戻って、見まわした景色は、ただの街灯がイルミネーションのようにキラキラと滲み、あぁ、これだ、これが、ライブの終わりの真骨頂だとまた泣きそうになってしまった。

泣いていたのだった、ライブ中、何万年かぶりに。
センターでピアノソロ演奏が始まって徐々に底なし沼に引きずり込まれるように、はたまた、空の果てへ吸い込まれるような、なんとも言えない高揚感に浸って油断していたら、バンドの音が静かに重なって「ロンリーラプソディ」だと気付いた瞬間、涙がポロポロこぼれだし「それでは、」まで全く止まらず、そこからは、ことあるごとに泣いていた。
義務マスクが気持ち悪くて仕方なかった。

これがライブだ。

これでこれまでのすべては帳消しだ。これからのすべても。
あの意味不明なバラエティー番組も、三軒茶屋の悲劇も。
これからどんどんインド宗教家染みてきたとしても。

二度と歌が聴けなくなっても。

こんな幸せがあるだろうか。

宗教にはまってしまう人は何か、未来とか、救いとか、癒しとか、そういうのを求めて縋りついているのかと思っていたが間違いだった。
何もないのだ。
「その人」の言動に、後にも先にも得難い幸せを感じたから、もういいやと思ったのだ。それは感謝とかお返しでもないような気がする。
「この人」のせいで何もないことに気づいてしまったけれど、ここが終着駅で構わないやと。
この駅で待っていても電車は止まらないし通過もしない。それで構わない。
もしかしたらこの先「この人」の言葉に何も感じなくとも。
たった一度でも、とても幸せだったのだから。
半ば諦めにも似た気持ちで、入信してしまうのではなかろうか。

少なくとも私は、もういいや。もう充分だ。今まで生きていてよかった。今すぐ死ねたらいいのにと思うほど。

それほどいいライブでした。          

去り際の時に何が持っていけるの

「私が貯金ゼロで未婚なのは、あんたがこれまでかたちのないものを選んできたからだよ、と妹に言われた」

という2008年の下書きがあった。
いっこも覚えてない。

他にもいくつかあって、その頃職場で働いていた美人の女の子の話とか、好きな人に会えなくて悲しい話とか、いろいろ一生懸命書いてるみたいなんだが、誰なのか、何なのか、どこなのか、全然全くイチミリも思い出せなかった。

私がこうやって書き留めているのは、いつか、老後の楽しみに読んでみてもいいかなぁと思って書いているんだが、この分だと、ほぼほぼ何も思い出せない。思い出せなくてモヤモヤさえする。これじゃまったく意味がない。

好きなドラマの「刑事ヴァランダー」のラストシーン。
若年性アルツハイマーになってしまった主人公が同じ病気を患ってそのまま死んでしまった父の幻影と海辺でこんな会話をする。

「続かないんだ、父さん、全てがね、途切れてしまう、つながらない」

「一体何が」

「記憶だよ、人生も終わりだ、思い出せない」

「他の誰かが覚えている、お前の代わりにね」

すると、孫を連れた娘が「大丈夫?」と声かける。ドラマ全編、終始穏やかさを微塵も味わえないでいた主人公が、この上ない幸せな笑顔で「大丈夫だ」と答えエンドロールが流れる。

とても良いドラマだ。

でも、そう私には、私のことを覚えておいてくれる人がひとりもいない。
だからせめて自分だけでも覚えておいてあげないとと思っていたのだが。

すまない、私。
私はあなたのことを全然覚えてないみたいだし、このブログというヒントを残しておいてくれても、一向に思い出せない。

相変わらず貯金はないが結婚してしまい、職場のつらいことも、好きな人も、会いたい人も、覚えておきたい妹との思い出も、何一つなくなってしまい、かたちあるものばかり増えて捨てるのを持て余している今の私を見て、天国の妹は何を思っているだろう。

死とは世界が終わるということなんだ、みたいなことを岡田さんが言っていた。
だからいいか。
結局なにもかもなくるのだから、その少し前になにもかも忘れたところで。

急に虚しくなってきて、ブログでも書こうとしたら過去の知らない自分のひとりごとを見つけたら、さっきまでの虚しさも忘れて、なんか映画でも見ようとちょっと持ち直した。

役に立ったわ、ブログ。
2008年の私に感謝。

サイコパスなオタキングというおじさん

岡田斗司夫という人のYouTubeをよく見ています。
10代の頃にこの人のチャンネル見つけてたらどうなってただろう、私の人生。

とりあえずジブリをちゃんと見て、宮崎駿を好きになっていたんじゃなかろうか。
ガキが大嫌いな私にとって作品の主人公がほぼ子供という設定だけで嫌悪の対象。
それでもテレビでやってれば、こんだけ騒がれてるんだから何かあるに違いない、と毎回観てたが、元気でわがままな女の子がギャーギャー騒いで好き勝手やって世界めちゃくちゃにして、バイバーイ、みたいなのがどうしても好きになれなかった。
やっぱガキ嫌いだわ、以外なんも入ってこん。主人公に対するイライラばかりで。

人に誘われて仕方なし映画館で見たのはだた一つ、ポニョ。よりにもよって。
感想は、かわいいね、くらい。駿の描くキャラクターはかわいいなと思う。
まっくろくろすけとかねカオナシとかね、かわいいなって。それだけ。
内容ないのに無理やり説教臭い感じするのも嫌いだった。
かわいいキャラがでてくるだけでいいじゃん面倒くさいなぁ。
くまのプーさんアンパンマンでいいです私、と。

でも岡田斗司夫の話訊いてたら、宮崎駿の人物像は好きになりそうなタイプのクリエイターだった。
斗司夫のジブリ愛が強すぎて、深く深く作品を掘り下げすぎて、正直ほんまかいな、と思うこともしばしばで、ジブリ側は彼の話を聞くなって言ってるらしいけど。

でも彼のその作品の斜め上目線どころか、異次元的解説が面白くてジブリを見たくなる。いや一周回って、どんなバカにでもチョンにでも全ての視聴者に伝えきれない駿はやっぱりプロクリエイターとしてダメなんじゃないか?とさえ思えてきた。

まぁ、そもそもオタクが一生懸命まったく意味不明なことをまくしたててる姿が好きなので、それだけで彼のYouTube見ちゃうのよな。

アニメ映画の話以外でも、ずっと覚えておきたい話もある。

一つは、全てのことは親から押し付けられた遺伝子で決まってしまうということ。
努力をすれば変えられる、なんてなく、その努力ができるできないということさえ遺伝子レベルで決まっている、みたいな話。

二つ目は、親孝行なんて0~3歳まで生き抜いてくれさえすれば、その年代の子供の可愛さはとてつもなく、その幸せを味わわせてくれただけで、もう親孝行は終わっていて、なのに、いつまでも親不孝だなんていう親は、それは元本が払い終わっているのに、利子をよこせといっている悪徳高利貸しと一緒だから、そんな親からは離れたほうがいい、というような話。

もっともっと、あと30年前くらいにこの話を聞きたかった。

彼の言っていることがデタラメとか科学的に証明されていないとか、そんなことはどうでもいい。
ただ、そういう考え方もあるんだよということを、残酷なほどに潔く示してくれることが大事だったのだ、10~20代の頃は。

若い若いあの頃に、この話を聞いていたらどれだけ救われて、どれだけ諦めきれただろうか。つきまとっていた呪いを投げ出して、全く別の何かを探せたのではなかろうか。

いや違う、そうか。
たとえ10代の頃、岡田斗司夫の話を聞いていたとしても遺伝子レベルで、ここの、この同じ場所へ戻ってきたに違いない。
だから、嘆くことも、後悔することもない。
間違った選択も、不幸な結末もない。
これがこれしか答えがなかっただけなのだ。

「間違いじゃない いつも答えは」
ひとつだったのよ。ひとつと歌ってくれてよかったのよ。

素晴らしい。
岡田斗司夫の言葉は初老の助けにもなる。

人間はいつだって少しの助けで諦められる。
そうしたらいつでも笑っていられる。
人生は喜劇だっていう余裕な人たちの言葉もまぁそうかもねと頷けるようになる。

やば、ポジティブ過ぎてもうすぐ死ぬんじゃね。

ラブソングのサビに「くだらない愛」っていう名曲

藤井風の「恋風邪にのせて」ばっかり聴いてたら、オリジナルの節おかしくなりそうだったから、聴きなおしております。なおすって失礼か。間違ってるわけじゃないけどね、いいのよ、あれは、カラオケじゃなくてカヴァーなんだからね。

いい歌よなぁ、この歌。メロディも歌詞も、1秒も無駄なところがない。
ここ10年で1番いいってくらい、名曲。
あとは「帰ろう」と初恋のテサキの「星の宵」とハンバートハンバート「恋の顛末」。
この4曲。一生聴いてられる。

雰囲気で言うとこの歌は「ラブストーリーは突然に」とか「LA LA LA Love Song」とかあれくらいの大ヒットしていいやつだわ。そう、月9っぽい。
聴いても、歌っても、どっちもとっても気持ちがいい。

でも変なバラエティ番組の歌なんだよね?知らんけど。
しゃーなし。
老若男女がテレビの前にしか行くところがなかった頃なら、この歌、大ヒットだったことでしょう。というかそもそも今の時代、大ヒットって何を持って言うんだろうね。ミリオン?ダウンロード数?再生回数?
まぁあれよな。
そんなのもう望んではいないんだろうなぁ。今どきのミュージシャンは。

でも名曲には違いないわ。

しかしまぁ、10年で無限リピートするくらいの名曲がたった4曲か。
悲しい。
わたしの感性、どこいった。

オカンになるしかなかった女たち

「姉ちゃんにだって母性みたいなもんはあるだろ?」
「育ててもない男にそんなのあるわけないじゃん」
          (ドラマ“僕の姉ちゃん”第2話より)

とあるVtuberが活動を休止したそうです。
おいおい、ゲーム配信者の次はVってあんた。
案ずるな。
ツベに登録してるチャンネルでこの話題取り上げてて、ちょっと、心当たりのある内容だったものだから。

ざっと説明すると
このとあるVさんが他の女Vと裏でゲームしてたらしく、その女のコんところにガチ恋勢のおねいさま方が凸して、更にどうやら日頃よりコラボ相手に荒らしに行ったり、指示コメしたり、いわゆるママコメが目についていたらしく、そういうのをひっくるめていよいよ、とあるVさんの堪忍袋の緒がブチ切れて「活動休止します!ほんでついでにぶちまけます!!」っていう動画を出した次第。

この動画が6分くらいの短いやつなんだが、ごっつおもろい。
おもろいっつっちゃーいけないんだけどさ、もうもう正直が過ぎて潔すぎて清々しい。
「かわいいとか言われるの正直寒気がした、俺だったらこんな配信二度と見に来ない」
「いやお前だれだよ!?俺の何なんだよ!?俺にはちゃんと母親が一人いるし!」
「彼女ヅラして変な夢見んな!今すぐいなくなってくれ!!」

チャンネル登録したわ。おもろすぎるこの人。

で、まず思い出したのはあっさりさん。
最近、母親か?君たちは、みたいなこと冗談のように言ったりしてるが、もう彼は諦めたのだろうと思う。ならば、そっちの人たちが喜ぶ方向でやろうってシフトしたように思う、ある日を境に。だってママやガチ恋勢たちはとにかくお金を落としてくれるから。コメ欄気持ち悪いけど、謝らなきゃいけないけど、でも、それ我慢したら年収ウン千万ですもん。まぁ悲しいかなあんま面白くなくなってきたけれどね。しかし再生回数伸び続けてるってことは、私がこのチャンネルに合っていなんでしょうね。

このとあるVさんは吹っ切れなかったんやろうなぁ。自分のチャンネルが気持ち悪くなることも、他人に迷惑かけて謝ることも、全て仕事の一部だと。本当は何の仕事してたって一緒なんだけどね。自分の理想とは程遠い馬鹿らしい仕事して、自分のせいでもないのに謝って、とにかく思考を停止して、生きるためだけに通勤している人が大多数なのだから。だから彼が堪えて、無になって、今よりメンバー数10倍にして、スパチャも払わせりゃぁ、もうそんな悩みハナクソだったわよきっと。ぶちまけるのはやめとけって事務所が言ったのもわかる。嫌いじゃないけどねこういう人。でも今後やりづらそう。大多数の普通のリスナーたちが。復帰一発目見てみよ。完全他人事。物見遊山。

そして次に思い出したのは、我らが藤井風尊師よ。
チーム風の薄ら寒い所業について前記事に散々っぱら書いたのだけど、ふと気づいたのよね、今回の一件で。

かわいいのコメントがあれば→「かわいいやて、ありがとう」喜んでるし
歯が浮くようなコメントがあれば→「よぉ言いますわ」照れてるし
おばさん構文コメントがあれば→「みんなまじめやなぁ」感心してるし

なんも気にしてない。全ては愛ならそれを受け入れる。
どんなに気持ち悪くても、どんなに三越の1Fみたいな臭いがしても、どんなにイトーヨーカドーの婦人服売り場みたいな色が広がろうとも、柔らかで穏やかな微笑みで優しく抱きしめる。

ているように見える。

だからいつか「めっちゃおばちゃんたち気持ち悪いんよ、オカンかっちゅうの。でもあの人らグッズとか買うてくれるから我慢せなあかんねん。あぁーわしの音楽、なんでこんなBBAにしかウケへんねん」みたいなLINE流出したら、一掃されますね、ママたち。暴動起こるかもしれん。

そういうわけで、いろんなとこで疎まれ蔑まれgm扱いされているガチ恋リア恋勢のおねいさま方。
藤井風のところにおいでよ!
彼なら全てを受け入れて、愛としてしっかり咀嚼して消化して、成仏させてくれるから。

ちなみにですね、男性諸君、ママコメだぁ、オカンかぁ、っておっしゃいますけど、それらは母性ではありませんから。
それはね、悲しい恋を最初から諦めているのにそれを認め切れない可哀そうな女たちの健気な言動の末路なのよ。

どうか寛容であれ。藤井風のように。

RSRのその後のその他

書きたい衝動が滅多に起きないのであるうちに書いておこう。

通知用にしゃーなしやってるTwitterの弊害はいらんことがタイムラインに乗っかってくること。
好奇心でちょっとポチした日にゃ、出てくる出てくるおっかねぇチーム風のつぶやき。
巷では「おばさん構文を探したいなら藤井風が羽生結弦って検索かければいい」ってなってるらしい。
わかる。

前の記事で、藤井風の人となりをグダグダ言っといてなんなん何だが、あまり興味ない。
好きなミュージシャンがどんな人なのか、何を考えて歌を作ったのか。

そら昔は興味ありました。この素晴らしい歌詞を書いた人は素晴らしい人に違いないと。
でもある日の昔々、その素晴らしい歌詞を書いていた人が、ほぼAV女優みたいな人と不倫写真撮られたり、似合わん金髪に変身した彼が青山のバーでその女とエグイくらいイチャコラしてるの目撃しちゃったり。
おいあんた、活動休止中になにしとんねん!歌えやボケ!もう聴かねぇ、あんなやつの歌聴かねぇ!
と、耳を塞いでも、聴こえてきちゃうのよ名曲が。聴かずにはいられない名曲が。
そん時ね、ツキモノが落ちましたね。
別に歌が良かったらよくね?
何をしようと、捕まろうと、直接迷惑被ったわけではないし。
いやむしろちょっとおかしな奴だから名曲が生まれるのではなかろうか、と。
また、ひと不倫してくれよと思うほどよ、今となっては。
勉強さしてもらいました。ありがとう桜井。

それから、雑誌のインタビューも、ファンクラブの会報も一切読まず、耳にするのはCDの音、目にするのはライブの姿のみ。
聴いた音楽は私のものだ。私の解釈が正なのだ、と。

そんなだからMUSICAを買ったはいいが未だ1ページも読んではいないし、マネージャーが書くブログみてぇなのもイチミリも読んだことがない。
ただ、藤井風の歌は、この人何者なんだ?と思わせるほどの思想に溢れているが故、彼の言動に目が行ってしまうのもわかる。
彼がどういう人間でどういう生活を送ってきたらこんな歌詞が書けるのかという意味で興味もつのは同意。
がしかし、私服がどうだとか、髭がどうだとか、〇〇が藤井風を誉めてたとか、雨が降ったとか…なんやそれ、そのうち、藤井風が歌ったら海が割れたとか言い出すんちゃうの。もうもう心底どうでもいい。

今回のRSR。喉の準備が万全ではなかった。後半の持ち歌んときはギリギリでありました。
まぁそらそうよな、聴いたばかりの他人の歌をアレンジして歌わなあかんし、あまつさえ自分の歌も劇ムズだし。
しかしそれを見て「喉が辛そうなのに一生懸命歌ってる姿に涙が止まりません」って。
運動会で子供が一等賞取って泣いてるおかんですやん。
思ってもいい、つぶやくなや。
おぉーがんばれや兄ちゃん、くらいしか思わん。えらいむずい歌作ったなぁ自分、としか思わん。そしてつぶやかん。
つか、そんなこと忘れてしまうほどのパフォーマンスやったのに、わざわざそんなことしかつぶやけないのかよ。
結局、私は風ちんのことを心配している優しいファンですアピールしたいだけなんよ。

何なんすかね、最近。
「私、優しいんです、理解があるんです」アピ。
思い出したわ。
電車で隣に座ったおばさん。スマホいじってずっと肘と荷物が当たりまくって、ここお宅のリビングのソファーじゃないんですよ?って声かけそうになるほどのおばさん。しかし前に老人がきたら、すっくと立ちあがり、満面の笑みで席を譲って、あたしなんて親切!ってご満悦だったおばさん。

そういう感じの人、増えたわよね。
そういう感じの人が、世の中を動かしている気がします。
最近でもないか、ずっとか。ずっと生きづらいでござる。

ヨンさまとかチャンドンゴンとか、我ながらよぉ出てきたなこれなっつ、氷川きよしとか、純烈とか、そういう人たちに夢破れたマダムたちが流れてきているのは間違いないと思います。
そしてあのような方たちは、熱愛発覚とか結婚くらいじゃあいなくなりません。肝が据わってます。
それこそ、10代の子と淫行とか、性別が変わっちゃうくらいじゃないと。

「ファンが気持ち悪い」「ファンが怖い」「ファンがダサい」
またか。

あ、私もひとつ、おばさん構文、失礼してよろしいかしら。
ヴィーガンほどほどにしてくれんか。
絶対音楽活動に支障出てくるって。脳とかに栄養行かなくて日本語の歌詞浮かばなくなったりさ、喉にだってなんかさ、あるって知らんけど。
知らんけどよ。何百万年前に肉を食べることを覚えた人間だけが生き残って今がある、ということは、生命が必要としていることなのよ。それをエゴというのか?じゃあ草はいいのか?草に命はないというのか?それこそ都合のいい人間のエゴではないか?

藤井風よ、肉を食え。
少しでも長く、好い歌作って歌ってくれ。
彼に望むことはそれだけだ。

RSRのその後

録画を何度も見返している。
やっぱりよかったよねぇこのライブ。
「藤井風って何がいいの?」って言われたらこのライブ見せたらいい。
全ての魅力がこの50分にぎゅっと詰まっている。
会場にはガチ勢そんないなかったと思うから、ご新規様増えたのではないでしょうか。

いい人間でいたいもカラオケのくだりもこの前のソロライブで言ってたことだけど、やっぱり全体的に納得いかないことの比率が多いと良いことの印象は霞んでしまうものなのね。

全ての魅力。

カヴァーをすれば、知らない歌をたった1~2日でピアノアレンジを完璧にし(しかも何曲も)、歌唱は歌本来の真の意味を聴き手に伝え、ちゃんと藤井風節を残す。笑ったのはピアノの譜面台に歌詞カードがあったこと。いやどう考えても歌詞より音符の方が大変そうなんですけど?絶対音感ある人みんなこんなにすごいのか?

オリジナルの選曲もよかった。「帰ろう」は単なる名曲ではない。この歌の歌詞は藤井風の軸だと思う。本人はそのつもりはないだろうが、この歌詞を書いた人の「何なんw」「きらり」「まつり」だからこそ、それらの歌の根っこの部分が見えてくる。見ようと思えてくる。「帰ろう」がなければ、それらの歌は耳障りのいい、ただの流行り歌で素通りしていったと思う。だから初めましての多い中でこの歌は必須アイテムだと思う。

MCにも彼の良さが滲み出ていたと思う。愛されて育ってきたのだろうなという天然の魅力。虫をキャッチアンドリリースもそうだけど、最後のエアハグをナチュラルにやってのけるあたりなんざぁ、人たらしを超えてもはや神々しいとさえ。
歌声とは真逆の独り言のようなMCは、本人曰く「日本語が得意ではない」らしいが、かっこいいこと言ってるけどあんたそんなん言える人間か?と単に我に返って恥ずかしくなるのだと思う。だから英語でしゃべる。あまりに生々しい日本語より、なんだか記号やそれこそ歌のように流れる英語の方が言い易いのだろう。ただ、歌詞は日本語で書き続けて欲しい。切なる願い。

彼の音楽家としてのプライド、否、プライドっていうとエゴエゴしぃ。
言うなれば、音楽を生業とする者としての誠実さ、が垣間見える言葉があった。

「カラオケ!ただのカラオケ!!」

「まつり」をスタンドマイクで歌い始める直前、さらっと言った言葉。
これおもろいと毎回笑ってしまうのだが、待てよと。
聴いているか?昨今のミュージシャンたちよ。あんたらテレビで堂々と大手を振ってカラオケしてるだけなんやで。カラオケですまんくらいの姿勢を忘れる勿れと。少しでもまともさが残っているミュージシャンならグサリときたのではなかろうか。きてくれよ。

そして単なるカラオケでは終わらせんでぇと言わんばかりの圧巻の歌唱力で幕。

謙虚だが卑屈ではない。誠実だがおしつけがましくない。仙人のような言動でも天井人とは感じさせない。
間違いなく、あの歌は、彼自信の延長線上に生まれた曲なのだと実感できる50分だった。
天性の才能と言われているが、実は挫折や傷を負いながら努力して今があるのでは?この先、例えば5年後、10年後、どんな風に歌が変わっていくのだろう?もっと歌を聴きたい、と期待値が膨らむばかりのライブとなったのではないでしょうか。

語ったわ。語りつくしたわ。藤井風考察YouTuberやろうかな。おばちゃん多いよね。

この長文に見合うだけの音楽家藤井風であれ!と願うばかりです。