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everywhere I'll go

「ユニコーンツアー2009 蘇る勤労」に行った

 そう君が 泣いていた あの頃に もう一度 会いたくて
 まだ君が 元気だった あの頃に 言いたくて

Unicorn

3月18日(水)茨城県立県民文化センター

なぜに水戸?といわれたもんだった。
けれど水戸にして本当によかったんだった。

奥田氏いわく
「ある意味、名古屋より遠い水戸」

まったくその通り。あんた鈍行で行ってごらんなさい。
へたな国内は本当に遠い。

けれどやっぱりユニコーンは小規模ホールだ。
なんでアリーナなんかでみなけりゃならんのだ。
そういうわけで、横アリを蹴り飛ばし水戸にしたのだ。

赤い緞帳が降りた向こうにメンバーの影が写る。
その瞬間泣きそうになったので、ユニコーン復活がこんなに嬉しいことだったのかと知る。

ユニコーンファンたちのバカすごいとこ。
懐かしい歌だけが盛り上がるというわけではないというところ。
それはもちろん、作り手の衰え知らずという所以もあるわけだが。

ともかく、ユニコーンってこんなに芸達者集団だったけかと驚くことしきり。
EBIちゃんってあんなに妖しかったか。
川西くんってあんなにパワフルだったか。
テッシーってあんなにキモおもろかったか。
アベちゃんってあんなに王様だったか。
民生ってあんなにふざけてたか。

おかしな二人」「大迷惑」「ヒゲボー」「車も電話もないけれど」「人生は上々だ」「ロック幸せ」・・・とまぁ、もう、ずいぶんビジュアルだけではなく音もぶっとくなった懐かしどころの歌の中で特筆すべきは「PTA~光のネットワーク~」。
いわずもがな、TMネットワークを彷彿させる曲。
当時流行し始めていたコムロ。この時期再びコムロ。ユニコーン的演出。
パーカーを着た、それ系ファッションのEBIと川西。
この二人がいとも容易くラップを唄う。
いま巷で流行ってるのなんて、いくらだっていつだって、俺たちゃやれんだよと。

民生がEBIのベースをひょいと担ぐと、EBIが鍵盤を叩き、
民生がドラムを叩けば、川西くんがマイクを持つ。
アベちゃんがギターで、今度はテッシーが鍵盤を叩く。

オールラウンダーだ。

昔の歌を唄う民生は、「若い人の歌を唄っているおっさん」だった。
当時からなんだかおっさんくさかったその独特な動きは、今はばっちり板についていた。

ともかく、MCは、衣装の話だの、テッシーのパンツの話だので、ファンを煙に巻いたような、もう悪ふざけとしか思えないおっさんたちのバカ騒ぎ。
しかしこれが音を鳴らし出すと、どっこいただもんじゃないのよと見せ付ける。

3時間、大笑いして、大汗かいて、拳を振り上げて、こんなLIVE久しぶりだよ、いつぶりだよ、あーユニコーンぶりじゃんか、16年ぶりじゃんかと。

いつから私は人生を重ねて、音楽を聴くようになってしまったんだろう。
すがるように、音楽を聴くようになってしまったんだろう。
あの頃は、こうやって、LIVEはただただ楽しかった。
この人らの音楽が楽しくて仕方なかった。
それはきっと、ユニコーンだけ、ではなかったからだ。
他にも楽しいことがたくさんあった中の、あくまでも音楽はそのひとつだった。

今はどうだろう。
恥ずかしげもなく、唯一無二だのねミスチルは!とか言っちゃう始末。
しょーもない人生だ。

それから改めて、ミスチルのはLIVEじゃないと今回はっきりときっぱりとわかった。
あれは、宗教会、煽動集会。
そういうテイで泣きにゆこう。
しょーもないけど、しょーもなくでしか、もう生きれない。

「すばらしい日々」を最後にやって、泣いている人もいたが、
それより、アンコール前の「HELLO」のほうに、視界が滲んだ。
ファンへ、自分たちへ、今へあの頃へ、向かって響いて、切なく優しい。

水戸駅発21:55の最終に乗り遅れると、明日の会社が、ホテル代が、ともかく金が。
てわけで、終了と同時に会場から走り出た。
おばちゃん、走る走る、また走る、あげく走る。
余裕で間に合い、常磐線に乗り込んだ時、おれ、まだいけるんじゃないかと、清清しい気分になった。

せっかくなったのに。
2、3日、このような通常営業していたら、日々の嫌なことで、あのLIVEはもう遠い昔々のことのよう。
楽しいことなんて、あっという間に埃がかぶる。
だからせめてブログに残す。

「納豆製造のお忙しい中、ネバネバした手でチケットを握り締め、ネバネバした拍手をいただき、ありがとうございました」

という気の利いたMCも聴けたところもひっくるめて、本当、茨城行ってよかった。

ユニコーンたち、お辞儀をして、はけた。
民生も再び、深々お辞儀をして、ステージからいなくなった。
歳をとったね、お互いね。