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everywhere I'll go

夢であって欲しい

夢のない人間はMr.Childrenなんて聴いてらんない、わけじゃなかったと思う。

私は小学生んときからずっと夢を持ったことがない。
あった試しがない。
それでも、20代、奈落の底みたいなところで、Mr.Childrenの歌を好きだと思った。
だから、老いのせいで今ひとつ歌が入ってこない、とは言えない。
言いたくはない、のか。

何故か、夢も希望も愛もない、ないない尽くしの人間でも、聴けていた。
こんなマジョリティな、ともすれば「前向きな歌ね!」なんてバカみたいに言われてしまいそうな歌を、すがるように聴いていた。
もし本当にそれだけの、バカみたいな前向き賛歌を欲していたなら、
あの頃流行していた、コムロやベックスでもダンスしながら聴いてりゃあよかったのだ。
そうじゃなかったから、好きだったはずだ。

どうしてこんなことを思うのか、考えてみたちょっと。
Mr.Childrenを聴いて考えるなんて邪道なことしたことなかったが。
考える隙もないほど、ただただ聴いていたから。

○答え出し過ぎ
Mr.Childrenの歌がお気楽ポジティブソングに聴こえなかったのは、
ぼんやりとして、漠然として、薄っすらとして、それでも、とても眩しく美しい「何か」が「どこか」にあって、
そんな風にとてもあやふやなことしか言えないけれど、
けれど誰にでも、その「何か」は確かにある、と、唄ってくれていたからではないだろうか。
それが、たとえば今回のhypnosisで言えば、あっさり「夢」とか「希望」とか言ってしまう。
いろんな意味を持った「夢」なんだよ、と言いたいんだろうが、
その「夢」って単語さえ人生にお目見えしなかった人間だっている。
少し前までは、そういう人間だって、聴かせてくれたような気がする。
いまパッと思い出したが「愛、自由、希望、夢 足元をごらんよきっと転がってるさ」という詞も確かにあった。
けれどこの場合は、前向きな単語を羅列することで、輪郭がぼけ、それは「象徴」という意味に過ぎなかった。
今回のはメインであり、最終目的であるように、「夢」を使ってきている。
だから、飲み込めそうだな、と、引き寄せられては、連呼される「夢」が引っかかり、
「夢?・・・ねぇよ・・・いくら考えても、ねぇんだけど」と、消化不良のまま歌を聴き終えてしまうのだ。

○みんな同じ人の歌に聴こえる
「祈り」くらいからか、全ての歌が同じ人のに聴こえる。
ひとりの人が作っているのだからあたりまえじゃないかと言うだろうが、
否、Mr.Childrenに限っては、桜井和寿に限っては、矛盾だらけだった。
だからこそ、信用できるソングライターだった。
何曲も、何十曲もある歌を、何十回も、何百回も聴いているうちに、
矛盾だらけだと思っていた数多の歌が、いくつか表裏となっていることに気づいたとき、
初めて、その歌の力を知り、そのソングライティング力に唸ったものだった。
しかし、ここ最近のいくつかの歌は、まるで、すべてが繋がった歌のようだ。
一点の曇りもなく、誠意の塊となった人間が唄っているかのように聴こえる。
言い過ぎだろうか。

以上、普段考えない、考えたこともない、考えたくもない、Mr.Childrenの歌について考えてみた。
総括すると、
桜井和寿はもう完全に完璧に完成された、あるいは、そういう歌しか唄わない、唄えない、書けない、ソングライターになった、ということか。
最悪、震災の影響でそういう歌を意図的に唄っている、というオチか。

だとしたら、あの震災さえなければ、こんな記事、書かなくて済んだのなら、
私も立派な、ちょー被災者だと、大声で言う。誰がなんといおうと、叫ぶ、喚く。

「ぽつねん・・・」

もし、Twitterでつぶやけってんなら、最近のMr.Childrenを聴き終えた後は、こればっかだろう。