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藤井風プラチナチケットに思うこと

プラチナだったらしいですわ。

当たりましたよ、ましたから、こんな流暢にブログなんてやれてるんです。
当選メール来た時は、もう久しぶりに跳ねたもんね。クリーニング屋の前で飛んだもんね、おばはんが。端から見たら四股踏んでるってなるのかやかましいわ。

でもね、ひとりで行きたかったのに行きたくない人と行かないといけないんで微妙です。
なんでそんなことになったかっていうと、クレカ持ってなかったんでね、持ってるやつに頼まないとならんかったってわけです。
クレカなしでも応募はできるんだけど、ハズレんですよね。
だってね「帰ろうと青春病と旅路。これしかいいのない。こういう歌、今後書かないなら終わりだね藤井風」って人と行くんですよ。
「歌はうまいよ、だけど歌詞がさぁ、この3曲以外微妙だよね」ってね、おめーアルバムの曲聴いてないやんけっつってね。
じゃあトレード出すって言えば「いやそりゃ行くよ!プラチナなんでしょ?」って一回殺させてくれ頼む。

で、TwitterやらYouTubeやらの藤井風ガチ勢のコメントみたら、一層、後悔よ。
「あたった!」っていうのがごった返すもんだと思ってたら「はずれた」があまりに多いじゃないか。
どうでもいいやつで1枠埋めてしまったことに罪悪感。
今思えば、母親のクレカで申し込んで、母親のチケットは定価トレードだっけ?あそこに出せばよかったんじゃないかと。
まぁ今はクレカをゲットしたんで、今後はひとりで行きたいと思います。

またこういうツアーやってくれんかねしかし。無理かなぁ。飽きたかなぁ本人も。
シソンヌとやってたバラエティーでも完全ボーカリストの立ち位置で歌ってたもんなぁ。
藤井風といえばピアノ弾き語りって、これ、飽きたっぽいよなぁ。

今回のことで思うことがありました。

最近ファンクラブがない(あってもおかしくない)アーティストが増えた。
理由は知らんけど、まぁだいたい「音楽を平等に届けたい」とか「ファンを区別したくない」とか、そういう、なんつーか、持つ者の余裕からくる、高尚っぽい理由なんでしょうが。
しかし思うに、シンプルに、ダサいからよね。
「おれはアイドルじゃねぇ!アーティストだ!」つって、そうやってブランドイメージを上げたいのもわかるんだけども。

あなたがた、まず「サービス業」だってこと、お忘れではなかろうか。

認めたくないだろうけど、人気商売よ。そういう売り方だってどっかしらしてるでしょうよ。
グッズ販売やらテラサ誘導やらYouTubeプレミアムやら、ねぇ、遠回しにお金落とさせるだけ落とさせて、なのにテイだけは「アーティスト」ってそれ矛盾よ。
矛盾して素晴らしいのは歌(歌詞)だけよ。
そもそもよ。
ライブをやるということは「行けない人」と「行ける人」の区別がついてしまうわけだし、そこにたくさんの人が関われば、必ず「コネチケット」なるものが発生して差別も生まれてくるわけです。だったら、本当に行きたい人へのサービスの幅を出来る限り広げることが大事なのではないでしょうか。
中には「同じお金(1万円弱)払うから配信してください」って半泣きで訴えてる人もおったわ。
ひどい話やで。音楽は平等なんてちゃんちゃらおかしいわよ。
今はどうかしらないけれど、全盛期のB'zニキのファンクラブはずいぶん複雑な仕組みを独自に作って、必ず会員はどこかしらライブがいけるようにしていたものよ(妹談)。それが「サービス業」ってもんよ。

いやそうしろとは言わんよ。
要はね「安心」が欲しいのよ。
「今、小市民であるアタシがかけられる精一杯の保険はこれだから、やるだけやったんだし、これがダメならしゃーなし」っていうのが欲しいの。で注意書きに小さく書いてくれたらいいの。「絶対ではありません」って。
有無を言わさない諦めをくれる理由があればいいのよ。

ライブどうしても行きたいほどその音楽を必要としている人って、他に何も持ってないんじゃないでしょうか。
最近はそうじゃないのかな、音楽の立ち位置って。どうなの?
サブスクで聴いてなんかかっこいいし流行ってるからちょっくら行ってみたい、くらいなんかな。
少なくとも藤井風の歌ってそういうものではない、というか、そんなんじゃ勿体ないくらい好いと思うんだけどね。

わがんね。

ともかく一緒に行かなきゃいけない馬鹿にアルバム2枚強制的に聴かせるしかねぇ。聴きやがれこの野郎。