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everywhere I'll go

櫻井和寿とジャニーズのコラボ

せっかく、リモートなんたらとか、ステイホームとかって、わちゃわちゃ不幸祭りの只中の世間の皆様、もう、収束のテイですよ、残念でした、と気を緩めてたら、不意打ち。

とうとう、来てしまった。桜井和寿が「ジャニーズのみなさん」と口にする日が。

ドラえもんから雲行きが怪しかったので、え!そうなの?!ってより、あ、やっぱりね、で済んで良かったけれど。

いまさらジャニーズ。もう落ち目なのに。と言っては見たものの、あぁ、そうだね、桜井和寿もだね、と。最近の曲ったら、そうね、ちょうどいい、分相応かもね、と。

今は落ち着きましたけどね、これ聞いたときなんだか腹立ってね、とあるサイトに、よせばいいのにジャニオタもミスチルオタも喜ばないこと書いたら、叩き出されてしまったよ。1番触っちゃいけない人たちに近づいてしまった私が悪いのだけど。けれど、そんな大多数の人たちの意見を聞いて、わかったことがある。

最近、桜井和寿の作詞能力がダダ下がりしていると思っているのはごく少数派だったということ。

もしくは、桜井和寿は今の風潮に合わせた、大多数に合わせた、どこまでいっても幸福で、付け焼き刃的な優しさで溢れた、耳障りの良い言葉を並べただけの歌を、戦略として書いているのかもしれないということ。

同調意識こそ宝、人類みな兄弟、隣人を愛せ、がんばれ、がんばろう、という薄気味悪い空気が東日本大震災で生まれ、その心地よさに酔いしれて、そしてそのおかずの記憶が薄れて来た頃、今度は世界規模のおかず、コロナがネギ背負ってやって来た。また向こう10年、鬱蒼とした暑苦しい空気で日本は世界は包まれるのでしょうか。

そしてその世界に、軽やかに乗っかった歌を彼は書き続けるつもりなのでしょうか。

まさか、私と同じようにやさぐれろとは言ってない。桜井和寿の歌が私と同じようにステばちヤケばちになられても困る。けれど、まるで、これまでずっと順風満帆で、まっすぐ全うに嘘なく生きてきた人みたいな歌は、他にもたくさんの人たちが歌っているじゃないか。桜井和寿が歌う必要はないじゃないか。

ここが人生の袋小路だと思い込んでいた頃。やたら眩しくて華やかで皆を扇動するような歌ばかりの有線放送で、ふと流れてきたCROSSROADを聞いた瞬間、目の前のどんよりした薄暗い雪景色が、小さなガラスの粒がチラチラ落ちた後の世界みたいに美しく変わった。今は廃業してしまった福島のリゾートホテルの大きな窓の外に見とれながら、バイト中、耳はじっと有線に傾けたまま、まだ生きようと生きられると、ぼんやりと、過ったのです。27年前。

封も開けてない最近のBlu-rayが2つ、歌詞カード1回しか開いてない最近のCDが2枚。

完全にどこからかいつからか私は、乗り遅れた、取り残された。

誰かの言葉を借りれば、思い出の角砂糖の在庫は残り僅か。底をつく前に、どうか、父よ妹よ、迎えにきてくれ。