fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

Jewelry

蓮華草の花 野原に咲き誇って
故郷を思い出させる
人恋しくて切なくなる 泣きたくなる
イノセントなままでどこかへ
消えてしまいたい

使いましたか「イノセント」。ミスチルの「イノセント」といえばあれです。
それをこの曲で、この感じで、とうとう使った。
「イノセント」21年後の真実。

悲しい。悲壮。悲嘆。悲痛。悲恋。悲。悲。悲。
哀 しいではなく、この歌は、悲 しい方。

こんな女性、これまでの桜井の歌詞で登場してきたことない気がする。

桜井の歌詞の男性とおぼしき人物は様々で、本当に一人の作詞家で書いているのかと、であるからして、桜井さんさっき言ってたことと矛盾してやしませんか、と思われかねないのだけれど、否、だから桜井の歌詞は好いのである。
表裏一体、あの男が夢を追えば、この男は絶望の淵に追いやられ、あの男が笑顔を絶やさず空を見上げるというなら、この男は怒りを振りかざしてやぶれかぶれに疾走する。
そういうふうに彼は歌を作ってきたからこそ、万人に評価をされる大衆音楽になり得たのだ。
それを本人が望むと望まざると。

で、男歌詞だとこれだけ様々なんだが、反して、そこにちょいちょいでてくる女性は、一辺倒。
気が強くて同性の評判は底値で愛する人を手にいれるためには貪欲で周囲のことなど気にせずその人の前でだけはたまに気弱なことを言ったりもっと上級者になると「私って結構強い女なのよ(本当は弱いの)」とその(かっこ)書きの中をちらちらほのめかしたりする。誰かが「おにいさんそれ作戦でっせ」と警告を鳴らそうものなら一層「そんなみえみえな作戦を使ってまでも俺の愛を欲しているのか」とまんまと前述の男たちはバッタバッタとやられてしまう。
そういう女だ。
まぁ、誰がモデルだなんで、それは言いっこなしよ。

で、この「Jewelry」に登場する女性はそれとは真逆の世界にいるような、むしろ、件の女性に被害さえ受けているであろうスポットが当たらない女性だ。

陰鬱と一途さという小さな誤差の間を行きつ戻りつしているうちに、袋小路にはまり、慣れ果て、今度はあきらめと自己満足のこれまた似たような領域を行きつ戻りつしているような、男から見たら一切魅力ゼロ、昨今の女性からしたってきっと「メンヘラかよ」とニベも無い言葉で一蹴されてしまうような、女性。
そんな、悲しい女性の歌だ。

好い。好きですよこの歌。
そして少しほっとしました、そういう女が存在していることを桜井和寿が認識しているとわかって。
彼が好きか否かはあれですけども。

桜井が明確に女言葉を遣った歌詞は「放たれる」とこの2曲くらいか、わたしの記憶に残っているのは少なくとも。
それだけでこういうのも乱暴ではあるのだが、思うに、桜井和寿が女言葉の歌詞に登場させる女性は、傷だらけで健気で寂れていて清閑だ。
だから件の女性とは比べ物にならないくらいに美しく思える。
1人称で描く女性はやはり「陽」丸出しより「陰」な辛気臭い女の方が描きやすい気はするし、女性からの反感も少なくて済むでしょうからね。好いと思いますこのマーケティング

今後もこういう曲を待ちます。
泥水にどっぷり浸かりながら、なんとか正気を保って。