fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

Mr.Children〔(an imitation)blood orange〕Tourに行った

「唄い方が大げさ。大した歌詞じゃないのに」と、どこかの音楽評論家が桜井和寿のことを昔々に叩いていた。
その頃私は思った。
「このおっさん、ちゃんと歌詞読んでねーな」と。

桜井和寿の歌唱でしか伝わらない歌詞こそがMr.Childrenの真骨頂であるからして、故に、ライブでアルバムの曲を聴くと震えさえきたものだった。

今回もその瞬間は幾度とあった。
「NOT FOUND」「やわらかい風」、「天頂バス」なんて、「CENTER OF UNIVERSE」なんて、ましてや「Surrender」なんて、もう、あぁ、聴いたそばから、ごくごく染みていった。

しかしそれもつかの間。
「Happy Song」「End of the day」で、潤っていたなにかは、さっと跡形もなく引いてしまった。
なにより、前出の曲より、こっちの曲のほうが、客も盛り上がっていた。
でも、そのとき思った。救いの光がさした。
そうだ、こんな歌、わざとだ。
昨今流行の猿でもわかる歌に合わせて、マーケットを考えて作っているんだと。
そうだそうだそうでしょ、ねぇ、そうでしょと。

そんな、儚くも健気な私の言い聞かせは大画面に映し出された桜井和寿の表情で全否定された。
本人がもう気持ち悪いくらいノリノリだったからである。

うそでしょ。
もっと、唄わされてる感、出してよ。
ぐっと涙を堪える。
こんなことで泣きそうになるなんてなんて仕打ちだ。

「HERO」を唄っている。
「ずっとHEROでありたいただひとり君にとっての」
あぁ、ほら、こんな歌詞歌ってたのに。
「祈り」を唄っている。
「もっと強くありたいって思いで胸が震えている」
どうしてこんな安い歌詞になった?
こんなのカミジユウスケでも書ける。

テレコで唄うもんだから、その落差が如実過ぎて、悲しい。
唄っている本人だってわかっていそうで、悲しい。
最新のアルバム曲をやるときのコバタケがなんとなくヤケクソ気味に見えて、悲しい。

そう。
どんな歌だって、みんな、みーんな、エクザイルだろうが、ファンキーモンキーなんたらだろうが、エーケービーだろーが、ビーズだろうが、ミスチルだろーが、みーんな、みーんな、同じことを歌っているんです、流行歌なんて。
根っこは同じなんです。
だからこそ、Mr.Childrenでしか、桜井和寿でしか出来ない歌詞でそれを歌にしている、していた、少なくとも、ギリギリ前回のアルバムまでは、だから、だから、私は、数多ある流行歌の中から、Mr.Childrenの歌に寄りかかったのであります。

もう、落っこちてしまった。
そして、それをお客さまも喜んでらした。
ミスチルっぽい歌だよね!」「まさにミスチルって感じだね!」って。
そうだね。
「なんでそんなに立腹してるの、おばさん?」ってか。
「だってミスチルってこんな感じだったじゃん?」ってか。
言うだろうね、これまでテレビでちょろっと流れるミスチルの歌を聴いてきたような人たちは。
はい、そういう歌です、今回は。
とても、安価でお求め易い歌になってます。

そしてこれまで、Mr.Childrenを、桜井を、叩いてきた人たち、そう、あのおっさんも。
今こそ叩くべきであります。
あたしら何も言い返せません。

最後だと、マンを持したように、「祈り」を唄ったとき、そうだ、そうだった、今見てるのは、もはやミスチル黒歴史アルバムと後々語り継がれるであろうアルバム「(an imitation)blood orange」のツアーだったと、まざまざと突きつけられたようで、しょんぼり。

そうだそうだ!「常套句」は泣きそうになったわぁ・・・と気づいたら、バックに映し出されたPV映像が良くて泣けたっつー。無意識にそっちみちゃってたねって、自己嫌悪。

暴風雨でびっちょびちょになりながら、入った帰りのサイゼリア、安ワインで景気づけ。
出た結論。
「今回のアルバム全曲、きっと、Mr.Childrenの後ろの人たちが書いたんだよ!ね!」

後ろの人っちゃあ、「Surrender」の、田原のコーラス、絶対いらなかったから。
雑音。
以上。