fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

おうむ未満

菊地が捕まってしまった、と6月3日、あのよき日に、一報あり。
手配写真をぼんやり、もしかしたらあたしなんじゃないかと期待と不安で膨らませたり、たまに、あれあたしじゃないから、とか、場つなぎに使わせてもらったりしてたのに。

しかも、
しかもしかもなんだよ、男いんじゃん。
プロポーズだって?!
6年?つか、その前にも男といたから、ずっと男といたのかよ。
こっちは17年間、誰からもプロポーズされとりゃせんわい。
しかも激ヤセ!
こっちは激ブドリ!
あっちは前下がりの茶髪ボブ。
こっちはのばしっぱなしの貞子的ヘアスタイル。
どないなっとんねん!
ちがう、あれは菊地じゃない。菊地はあたしだ。
手配写真だけでいうなら、むしろ、あたしが菊地だ。

この前NHKの「未解決事件」を見た。
「なぜオウムは暴走したのか」だけに特化した番組で、短い時間だったが、とてもわかり易かった。
いや、オウムが暴走した本当の理由はもちろんわからないが、それを紐解くのは知れば知るほど複雑になっていく、ということがわかった。

バブルの時代、みんなが浮かれていた時代、「なんかおかしいんじゃない?」と首を捻ったごくわずかの若者たちが、人知れず、はみだしていった。
そして松本は、見事に、その彼らのよき理解者、救いの手となった。

NHKの記者が、極秘扱いとなっていた、何百本の「松本説法テープ」を聴いているうちに、信者側へ傾きそうになっていくという場面があった。

松本はなんら特別なことは言っていない。
もちろん、仏教だかの単語やたとえ話をでたらめに並べているだけというお粗末なものもあったが、
当初、若者たちを掌握していった言葉は「隣人を愛せ」「お金がそんなに大切か」「あなたはおかしくない」「あなたの気持ちはよくわかる」「少数派だからといって間違いではない」などという、どこかで聴いた流行歌のようだった。

暴走のきっかけは、教団内での死亡事故を隠匿し、その隠匿に疑念を抱き脱会をしようとした信者を殺害し、更に隠匿を重ねてしまったことから始まっているのではないかと、番組では描かれていた。

バブルという世界で縛られたくなかった若者たちは、結局、オウムという世界に縛られ逃げられなくなっていった。
結局、人は一人では生きられないというのは本当なのか。無念。

古参の元信者の証言を元に、再現ドラマが丁寧に作られていたが、彼らがオウムの歴史を語ることに恥ずかしさどころか、むしろ誇らしささえ感じているように映った。
一転、サリン事件に話が及ぶと口ごもり、「なんという悪事を働いてしまったのだろう」という自責の念からというより、「なんとなくバツが悪いなぁ」くらいにしか映らない。

そういう姿を見ていると、むかついてくる。
この元信者は、数々の犯罪を「なんとなくわかっていた」が隠蔽していた。サリン製造にも関わっていた。
こいつも立派な共犯だ。死刑だ。田舎に引っ込んで悠々自適に夫婦生活営んでんじゃねーよ。

けれど、彼らがオウムにのめりこむ過程を見すぎると、とても複雑になる。
彼らを「大量殺人者」「テロリスト」と名づけ、単純な加害者として罰や責め苦を負わせていいものなのだろうか。

少なくとも当初、彼らが望んだ着地点は、こんな形ではなかったのではないか。そんな彼らに、罰だけではなく、何か余地や猶予を与える時間や機会を持たせなくてはいけないのではないか。

いやいや。
いや、しかし。

正義感なんてドラマや映画に描かれるような綺麗ごとじゃ全うできない。
よかった、小市民で。

再現ドラマの中、若い信者たちが、まだ小さかったオウムという名の傘の下、外の社会では得られなかった充実感の中で、活き活きと過ごす場面が印象的だった。

さぁ私も、桜井様の、歌という名の説法を聴きながら、明日もまた、ただ死なない、というだけの活動を始めよう。

訂正。
やはり私は菊地ではない。私は彼らには遠く及ばない。