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everywhere I'll go

最低なドラマ

 「“お金持ちなんていう名前の人間はいない”?
 そんなこと、どうでもいいんだよ
 お前らの顔なんて、金にしか見えないズラ」

今回の「銭ゲバ」はこれまでの不安や勘違いを一掃してくれるような台詞が多かった。

 「貧しさは簡単に人を変えるんだ。愛なんてなくなっちゃうんだよ」

その通りだ。貧しいのが全部いけないんだ。風太郎のせいじゃないんだ。悪いのは、社会と親だ。
そうやって、彼の幼少時代のVTRを見て、可哀想な人生だと感じた人もいただろう。
でもそれはとてもつまらないありきたりの貧乏人情ドラマだ。

同情していた視聴者にこの直後、彼はにやけて言い放つ。

 「お前ら金持ちはこういう貧乏人が好きなんだよな
 従順で欲張らない身の程を知った貧乏人が好きなんだよな
 金持ちには決して牙を剥かない貧乏人がさ」

彼は幼少期、母親から「大事なのはお金じゃない人の心だ」と教えられる。
彼もずっとそう信じていた。
決して誰も憎まず、ひねくれずに、つつましく、まっすぐ生きてさえいえれば、いつかきっと心から豊かになれると。

彼は今、そう信じていたあの頃の自分に復讐をしているのだ。
金にでも父親にでも金持ちにでも、ましてや社会にでもない。
彼はあの頃の自分に復讐をしているのだ。

 「心なんかじゃ生きてけないんだよ、所詮、銭ズラ」

それを証明して、あの頃の自分を抹消するために、生きているのだ。

三國家での朝食シーン。
穏やかで柔らかで、この上ない幸せな画の中心に風太郎がいた。
このとき、彼は何を思っていたのだろう。
それを後の台詞で知る。

 「そうやって世界は成り立っているんだろうなって
 持つ人がいるから、持たない人がいる
 それが社会なんです
 みんなが同じなんてできるわけないんです」

彼はしょうもない人間だ。
まともな人間からみれば、単なる狂人、皮肉屋、負け犬の遠吠え。
うだうだ言うならさっさと消えろというところだ。
だから、視聴率も下降の一途なのだろうが。

この誰よりも醜悪な男に、強敵が現る。
それは父親だ。
輪をかけて、しょうもない男だ。
今回からこの父親の存在が大きな鍵になるのだろう。
いろいろ役作りにケチをつけたが、椎名桔平は、やっぱり上手だ。
もう、違和感のあったあのブルジョア風衣装も、“見栄を張りながらも、貧乏人として開き直ったフリをする貧乏人”という役作りなんだろうとさえ思えてきた。

風太郎は父親を殺さなかった。殺せなかった。
自分の中に、紛れもなく、この最低な忌むべき男と同じ血が流れていたからで、
この再会でそれを嫌というほど思い知らされてしまったのだ。
それに気づかされた瞬間の風太郎の表情は凄まじい。
父とは間逆の道を歩んでいたと思っていたのが、裏と表というだけだったということも。

やはりこのドラマを見るのに必要なものは何もない。
ただ、見ればいい。
貧乏人であろうと、金持ちであろうと、不愉快になるだけのドラマだ。
だから最高だ。

ジョージ秋山原作のラストは散々らしい。
既読の人の殆どは「テレビではありがちな“大切なものは銭以外”ってオチになるだろう」と予想しているそうだ。
私は原作を知らないが、できれば、散々で終わって欲しい。
どうせ視聴率低いなら、そういうのでいいんじゃないか。

初めから終わりまで、最悪なドラマであって欲しい。