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everywhere I'll go

「地球が静止する日」を観た

あっという間に終わった。
面白かったからそう感じたのね、と思われてもちょっと困るのだが。

非常にシンプルな話。

宇宙人が地球を守るために、人間を片付けにきた。
人間たちが変わるのをずっと待ってきたが一向に変わらない。
愚かな破壊をし合い、地球を滅ぼし続けている。
地球は人間のものではない。だから、地球を助けに来たのだと。

最後の話し合いをするために地球にやってくる使者クラトゥ。
しかし相変わらず攻撃だけで解決しようとする人間たち。
失望した使者が、人類滅亡の決行を下す。
しかし、使者は人間と関わっていくうちに、人間の別の顔を知り、変化してゆく。

「我々は窮地に立たされたとき変わることができる」

果たして、宇宙からの使者は人類に一縷の望みを見出せるのか?

と、大変わかりやすいストーリー展開に面食らい、肩透かしを食わされた感。
ただ、57年も前にすでにベースとなる作品が生まれていたというところは驚き。
そんーな前から環境破壊を危惧していた人間がいたなんて。
今も昔も、世の中には小難しいことをばかりを考えている人っているのだなぁ、
やっぱりマイナス志向人間って必須要員なんだなぁと思った。
それより、そんな前から問題提起されているのに、未来の今になるまで一体何をしていたんだと他人事のように呆れる。

今さら気づいた。なんでこの作品があまりいまいちだったのか。
テーマが「環境問題」だったからだ。そうか。
一番観ちゃいけない人が観てしまった、場違いな居心地の悪さ。
だって知らなかったんだもんさ。それ先に言ってよ。

好いところもあげとこう。
最初に宇宙から大きな球体がやってくるのだが、まさかそこからスーツをきたキアヌが現れるのか?それはおかしいやろ?と思ってたら、胎盤のような物質に包まれた宇宙人が出てくる。
要は、人間と話し合うために、人間の見た目で地球で生まれ直すという設定。
宇宙人ってなんて礼儀をわきまえているんだ、と、ちょっと新鮮。

それから「本当の死というものはない。ただ形を変えるだけなのだ」という言葉。
これが人間ではなく、宇宙人クラトゥの言葉というところが、尚のこと耳に残った。

なんだかんだって、キアヌです。
やっぱり彼は人間以外、もしくは、超人類的な役が似合う。
白状すると、キアヌの顔が好きなのです。
あの顔が、なんなら“顔だけ”が、好きなのです。
だから、それだけで、はい喜んでお金を払えてしまう。
たらたら言いましたが、結局、キアヌだからってだけです。
そういうかわいそうな人は必見。

何年か前、全キアヌ作品一気見して、街を歩く人たちがみんな、キアヌに見えたことがありました。私は完全無欠のプラス志向です。