水上バスの中から僕を見つけて
観光客に混じって笑って手を振る
確か、してた、去年、恋。
結果はどうあれ、この、「した」、があってよかったと、この歌を聴いて改めて感じた。
この歌を聴き始めたとき、あーなんて幸せな歌なんだこのやろうばかやろう、と顔は苦虫を潰すのに、心はどんどん浄化されていった。
聴き進め、共に、歌詞も読み進め、うっかりしていたら、終盤、思いもよらない言葉が矢継ぎ早に流れる。
悲しみが満ちてく
もう一度、前半の歌詞を読み返す。耳には切ない言葉がひっきりなしに押し寄せる。
僕は待ってる 今日も待ってる
さっきまで、夢見心地で聴いていた風景の色が褪せていった。
透明な色で溢れたシーンは、いつの間にか、くすんで、カタカタカタと8mmフィルムで再生される映像のように、傷だらけで、遠く懐かしいシーンへと姿を変えた。
勝手に涙が止まらなかった。いくら拭っても、乾かなかった。
小さな名画座で、小さな悲しい恋の映画を観終えたようだった。
一度でも、どんなにちっぽけでも、一瞬でも、恋をしたことのある人なら、この歌に感銘どころか、感謝すらするのではないだろうか。
とおに忘れてしまっていた、想い、人、風、感触、全てのものが美しくもどかしい形をしていたあの風景を、この歌を聴けば、鮮やかに再生することができるのだから。
確かに、あの風景の中に自分がいたことも。