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everywhere I'll go

流星のドラマ

45%の確率で今週も見ている。
小さなワンセグで、ブログの片手間に鑑賞というところが、興味の薄れ具合と落胆の著しさを物語っているわけで。

しかしやっぱり。
こうも違和感でいっぱいになるのは、TBS→東野圭吾→「白夜行」という浅はかな私の連想のせいだ。

「とうとう、とうとうあのクドカンもシリアス路線に手を出すのか、どうなるんだいっ」つて、
あほほど期待をしてしまったのだ。
堤幸彦も、おふざけ、シリアス、そして王道感動ものと多才だったりするから、
だから、まぁ、脚本家と演出家という道は違えど、やはり才能のある人は、どちらの針にも振り切れられるのか、という期待が全て間違いだった。

クドカンクドカンだった。

ならば、どうして10分おきにコメディとシリアスが代わりばんこに現われるなんて中途半端なことしたのだろう。
もう、100%おバカにしてしまったらよかったじゃないか。
タイガー&ドラゴン、マンハッタンラブストリー、木更津キャッツアイ・・・
ほろっとくる友情、家族愛、恋、そういう感動を、バカバカしさの中に織り交ぜるのと、
「殺人」「復讐」を織り交ぜるのとでは、やっぱりハナから無理があったのだ。

クドカン、好きだので、そこまで腕がなかったと身も蓋もないことは言いたくないけど。

ど。このドラマの中のクドカン的アイテムがセリフが、お寒くて仕方ない。くどい。
子役たちの涙も、二宮くんの切ない目線も、どうせここでぐっときても無駄なんだよねとあっさり興ざめ。

誰かが悲劇と喜劇の同居ということで、映画「嫌われ松子の一生」を引き合いに出してたけど、冗談じゃない。私は映画館で泣き通しだったのだ。
悲喜劇というのは、主人公の姿が可笑しければ可笑しいほど、それが悲しく映るのだ。

こんな安直に、悲劇の次はハイ、喜劇、で、ハイ、そろそろ悲劇・・・なんて、1時間でクルクルクルクル慌ただしく舞台転換される物語では、涙どころか笑いも、感じない。

ギャグは空振り、感動も空しい。

目に入った途端に、右から左へ物語が流れて、そういう意味で、流星的ドラマ。