fake_BOOTLEG

everywhere I'll go

端っこで生きる

昨日のやつはスマホから書いてみたら異常なほど入力しづらく、疲れて、だからセンテンスが、あ、え、いや、一文一文が短くなってしまう。
だからツイッターが流行ったのかなとか。

最近スマホにした。
4年以上使っていたSHARPガラケーは首の皮一枚になってからも、今だって、生き続けているのに。

Softbankに修理依頼をしたら、一目見て、これは修理は無理だと言う。
だって古いから。という目で。
「え、できるかできないかも、一旦調べてももらえないんでしょうか」
「あ、ちょっとまってください」と裏へ引っ込む。
「あ、やっぱりできるみたいです」
じゃあお願いします。
「あ、代替機への電話帳など移行はこちらではできないんで」
「これまで他の店舗ではやっていただいたんですけど」
「あ、ちょっとまってください・・・・あ、やっぱりできるみたいです」
PCへデーター移行中。
「あ、すみません、うちに代替機、ありませんでした」
「ではこちらの店舗では修理は受け付けてもらえない、ということですね」
「あ、はい」
「安心サポートで毎月お金払ってたんですけど、あれっていつでもどこでも修理ができるってことじゃなかったんですか」
「あ・・・」
「この近くで代替機がある店舗さがしてください」
「あ、リストお渡ししますんで」
「そっちで電話一軒ずつかけて調べてくださいよ」
電話かけて戻ってきた男に行った。
「ちょうど更新月なんで解約します、いますぐ解約します」
「ポイント無効になりますが」
「ポイントを修理に使おうとしたんで、結構です」

どうせ、今の40代っていちばんめんどくせーよ、ガラケーと一緒に滅びろよ
と言われていたに違いない。

そして今、私はどっかのアジアのスマホに、アダルトビデオで儲けたDMMのSIMを差し、ふた付きのカバーを開けて、両手で操作するという、もう全然、いっこもスマートでもなんでもない機器を持たされて、1ヶ月1ギガも消費することなく、過ごしている。

SHARPの前はTOSHIBAガラケーを使っていた。
ふたつとも頭のよい機器だった。
「1015」と入力すると「10月15日」とか「10時15分」とか出てきた。
バックのポケットに入れておけば、取り出さなくても、バックを除いただけで、見える位置にランプがついていて、色わけ設定しておけば、メールが届いているのか、着信なのかがわかった。
何回落としても落としても、ひどい有様になっても、健気にその機能だけは果たしていた。
もちろん片手で操作は当たり前だった。

古いものの方がいいってただの懐古主義のセリフだと思っていた。
けれど、絶対、絶対、この、「携帯事情」に関しては、古いものの方が良かった。
良かったというか、スマホと比べると良かっただけで、あれが特別良かったわけではなく、毎日使うものとして当たり前にあれで充分だったのだ。

少数派というだけで淘汰されるのは仕方ないと思う。
だけど、特別良くも特別悪くもないというだけで淘汰されているように思ってしまう。
ものすごく便利なものは無論、ものすごく不便なものは逆におもしろいって注目を浴びる。
なんだよ逆にって。

そこそこの、中の中の層の、モノ、ヒト、たちは、無個性といわれ淘汰され、
全部が全部、煩わしくて、便利で、面白いものだらけになっていく。

淘汰されても、完全に消滅できないヒトたちはどこかに追いやられ散れ散れに。
こういう端っこに。