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everywhere I'll go

憎まれっ子世に憚る

いじめ、か。

こればっかりはなくならないねぇ。もはや伝統。
スケバン、つっぱり、番長、短ラン、ヤンキー、シカト、ガン飛ばし、ってな単語は絶滅してるのに。
いじめ、だけはあるんだねぇ。
進歩しないねぇ。

小中の頃は、その小さな学校が外界の全てだから、
ちょっと褒められれば自分の実力を過大評価して、
ちょっと失敗すれば自分の惨めさを誇張し易いからね。
勘違いしちゃう。

「もしかしてあたしって、神童かも!」「もしかしてあたしって、人間失格かも!」
どちらに振り切れようが特別な人間と思いがち。
そんで、前者なら「あたし以外の人間てクズ!」と弱者をいじめ、
後者なら「あたしって可哀想過ぎるじゃん!」と死ぬんだろうかしらね。
やることが極端。

とはいえ、生まれて十数年も経ってないその時点で、
「自分は凄いから、いじめる」という子は、大人になったら人殺しかその手前までくらいにしかならないだろうし、
「自分の未来はお先真っ暗だから、死ぬ」という子は、大人になったらその予言は色濃くなるばかりだろうから、早々に幕を引くってのは賢明かもしらんけど。

あたしの頃もみんな、いじめで大忙しだった。
こっちは参加するのも面倒臭かったし、たまに巻き込まれたりしたら、ホントいい迷惑だった。
とにかくその頃から、いじめに関しては常にうわの空。
それよか、むかつく女子にモップ投げつけ、むかつく男子の股間を思いっきり蹴り上げた、あの瞬間が、今でも爽快に思い出される。
それとあれです、10代でしか美しく使えない「片思い」というのに勤しんでおりましたから。
片思いと三つ編みは10代のうちにやっとけ、と、10代のオンタイムに思っていたあたしは、いつの頃のあたしより賢い。

いや、あのね、大多数が、うわの空な子供たちよ。
そうだと思うのよ、違うかしら。
だから、大多数の大人は丸腰で新宿を歩くし、大多数の大人は東西線に身を投げず、乗車して、大手町で降りるのよね。

にしても、いじめって、地味で気の長い作業よね。
相当の根気と信念と時間がなきゃできないわ。ダイエットに似てる。
運悪く、それにつきあわされる方は、もうご愁傷様としか言いようがない、けれど、
だからって、自殺ってところまでつきあって、自らご愁傷してしまうのは。

他人事だから言うけどね、
いじめた側はその先、特にいじめの記憶はなくなって、普通に生活することになる。
「因果応報」なんてそんな、いじめられた側に都合のいいことは、滅多に起こりはしない。
正直、自殺されたって、きっとすべて忘れ去られる。

そんなもんよ、その程度のもんなの、いじめる、なんて。

そして、いじめられた側にはその先、大人になってもずっと鬱陶しいことは続くのよ、間違いなく。
そういうクセがついちゃってるってのもある。
故に、いちいち死んでたら命いくつあっても足りなくなる。

だから、死にたくなったら、死にたい死にたいあー死にたい、となんども言う書くつぶやく。
その度、想像力を働かせて何度も死ぬ。
喜劇は何度も笑えないけども、自分を主人公にした悲劇は、そのあと何度だって号泣できるのよ。リサイクル。エコロジー。1度で終わらせたらもったいないおばけ。

そうやって、我が悲しみの生涯の真ん中で、ずっと泣いていじけて惨めに過ごしてりゃ、時間がうまく潰れて、気も紛れて、そうこうしているうちに、無慈悲に死なんてちゃんと訪れまんがなでんがな。